鑑賞者はいかにして作品に組み込まれるのか?
──河口龍夫「1971年の172800秒から2021年の345600秒へ」を手がかりとして

伊澤 文彦

はじめに

 
例えば、史跡や化石といった場所や物体は、それらがありふれたものではないこと以上にそれ自体が人を惹きつける力を持っている。それらは特定の場所やモノが持つ記憶を内包し、かつてそこにあった空間や時間を想起させるものとしてそこにある。〈かつてあった(かもしれない)もの〉、あるいは〈起こっていた(かもしれない)出来事〉が、固有の形と結びつき、鑑賞者の思考を引き込みながら過去と現在を往還させていく。〈かつてあった(かもしれない)もの〉を見ようとする時、〈今ここにあるもの〉と〈かつてあった(かもしれない)もの〉の差異が一つの形として現前する。

 一般的に展覧会は、ある特定の時間、なんらかの「作品」を空間上に展開することによって完成する。多くの鑑賞者は、作品に対して自らの知覚を変容させる何かを期待する。鑑賞者は作品の諸要素に巻き込まれながら、作品を見る主体として行為する。見るという行為は、あるものから自らを引き離す行為であるが、このような鑑賞者と作品が主体と客体として対峙するような在り方とは異なるもの、主体性が失われて一つの空間の中で貫通していくような作品の在り方について考察してみたい。あるいは、作品の内在的な力によってではなく、鑑賞者自らが客体として存在するということを意識化することによって成立する外在的な力によって、主体と客体が融解していくような関係性について考えてみたいと思う。

 こうした問いを考えるための手がかりとして、河口龍夫の「1971年の172800秒から2021年の345600秒へ」という展覧会を取り上げる。「1971年の172800秒から2021年の345600秒へ」 は河口の新作インスタレーションの展示になるが、半世紀前に行われた河口の個展「172800 秒」をリファレンスとして作られたものになる。この展示では、ギャラリー空間の壁から室内を見下ろすような形で設置された8ミリカメラと、床に置かれたテープレコーダーによって展示空間の撮影と録音が試みられ、記録されたフィルムとテープを展示終了後に鉛の板で封印する。つまり、展覧会空間自体をインスタレーションとして完結させるだけではなく、会期中に流れていた時間をオブジェの中に閉じ込める作品を制作するということである。展覧会タイトルの秒数は展覧会開催期間の時間を秒単位にしたもので、展覧会に流れる時間そのものを作品化しようとする作家の意図を示唆している。

 本稿では主に「1971年の172800秒から2021年の345600秒へ」 を例に、河口が作品において鑑賞者との関係性をどのように設定したのか、そして何が目指されていたのかということについて考察する。本稿が展覧会における鑑賞者の役割について考えるための一助になれば幸いである。

1.見られること

 まず、「1971年の172800秒から2021年の345600秒へ」におけるインスタレーション作品《345600秒》についての経験。

 ホワイトキューブのギャラリーの中にテープレコーダーと8ミリカメラが1台。メインの展示室に設置された物体はそれだけだった。カメラは壁の上部1.8mほどの箇所に室内を見下ろすような形で設置され、15秒ごとに1コマの感覚で室内を撮影している。テープレコーダーは常時稼働しており、レコーダーから伸びたコードが床に投げ出されたマイクに繋がっている。私の身長の少し上に設置されたフィルムカメラを見上げてみる。15秒ごとに鳴り続けるシャッター音から、明確に自分自身が撮られていることに気付かされる。それと同時に、壁際の床に設置されたテープレコーダーが作動していることにも気づく。ギャラリー内での鑑賞者の身体や発される音がリアルタイムで記録されていく。

 作品が鑑賞者としての主体から見られるもの、いわば客体として単純に設定されているのではなく、これらの装置によって何者かによって〈見られている〉、あるいは〈聞かれている〉という体験は、主体と客体とが対峙するのではなく、一つの空間の中で貫通していくような関係性を生み出す。ロラン・バルトは、「『撮影者』の本質的な行為は、ある事物または人間を(部屋の小さな鍵穴から)不意にとらえることにあり、したがってその行為は、被写体が知らぬ間におこなわれるとき、はじめて完璧なものとなる。」と述べた*1。

 このように、「撮影者」たる作品が、鑑賞者を「不意にとらえること」によって、前もって準備された記録されるための身体の振る舞いを制止し、客体としての鑑賞者を作り出す。しかし、こうした不意打ちあるいは驚きによってもたらされる関係性は即座に転倒し、記録装置を意識した振る舞いを鑑賞者は身につけようとする。私自身もカメラに撮られていると意識した後は自発的にカメラの画角を避ける、逆にカメラの前に立ってみる、レコーダーの前で足音を立ててみるなどして、記録装置を意識した振る舞いを行なった。こうした記録装置に〈見られていること〉あるいは〈聞かれていること〉への意識は、記録装置という存在に対する緊張感によって左右される。もしかすると、日常生活の中で監視カメラが視界に入ることで意識化された際に感じとることのできる緊張感と少し似ているかもしれない。

 河口自身が半世紀前の「172800秒展」を振り返って「撮影と録音する行為そのものが目的である」と述べているように*2、展覧会には、そうした行為を行う装置以外のものは何もなかった。展覧会において、見る主体として無意識のうちに安全圏にいようとする鑑賞者は、主体と客体が転倒する中で能動的にある種の自己崩壊を引き起こし、記録装置によって〈見られていること〉、〈聞かれていること〉の緊張感の中で、一つのオブジェクトになることを要請されるのである。

2.記録されること

 
「1971年の172800秒から2021年の345600秒へ」は、1971年に行われた「172800秒展」の再展示ではなく新作という位置付けではあるが、装置の位置関係は1971年の展示とほぼ同じである。また、展示室のバックヤードには、「172800秒展」の展示資料や、「172800秒展」の後に作られた《172800秒・光景の封印》、《172800秒・音の吸収》等の作品も展示されていた。河口は「172800秒展」について、「ぼくの願望としては、世界のすべての音を全部同時に吸収できたら、いったいそこに吸収された音というのは、なんだろうということ...」と語る*3。河口は展示室内で生じた現象を特定のメディアに「吸収」することでその場に流れる時間を結晶化し、時間を客体化しようとする意図があった。《172800秒》の展示後に作られた、《172800秒・光景の封印》、《172800秒・音の吸収》といった作品のタイトルにも「吸収」という言葉が使われている。記録メディアとしてのテープやフィルムが鉛によって「封印」されることで、展覧会に流れた時間それ自体を目にすることはできない。空間と時間を視覚的、聴覚的に記録することができた装置のみが、時間を内包するオブジェクトとしてそこにある。

 河口の「世界のすべての音を全部同時に吸収
できたら」という発言は、ジョン・ケージの『4分33秒』を思い起こさせる。どちらも特定の時間と空間の中で発せられた非意図的な音を作品に内包するが、河口の作品は、非意図的な音に対して特定の空間の中で耳を傾けさせるものではない。記録されて発信源から切り離された音を鉛で封じ込めることによって作品化されたものである。写真から出来事を回復することができないように、鉛漬けにされた作品から展示室での経験を取り出すことはできない。鑑賞者は記録メディアから現実の出来事を回復することを無意識のうちに期待してしまうが、河口の作品は、音そのものが存在した時間それ自体を作品に内包しようとすることで、この欲望を断ち切る。記録された音は誰にも(作家にさえも)聴かれることがない。〈記録〉は内包される出来事をいつでも取り出せるように残されるものだが、内包される出来事が完全に覆い隠されてしまうことによって、〈かつてあった(かもしれない)時間〉だけが作品として残ることとなる。

 
河口が《172800秒》を展示した前年は大阪万博が開催された年だったが、60年代後半から万博にかけて、作品が作り出す環境に鑑賞者が巻き込まれるような作品、即時的に五感を刺激するような作品が多数出現した。中原佑介は、近代絵画的な「切りとり」の思想に代わって「よせあつめ」の思想が出現し、量産と情報の社会の発展によって分解できない連続性を持つ「環境」的性格を持つ作品が出現したと主張した*4。中原の言うような60年代後半の「環境」的性格を持つ作品、いわゆる「インターメディア」や「発注芸術」と呼ばれるような均質かつ複製可能な表現は、作品素材の「よせあつめ」によって連続した環境に積極的に鑑賞者を作品構造の中に巻き込むものであった。作品にはしばしば映像や光、音などを発生させる記録装置が大きな役割を果たした。これらの作品の多くは鑑賞者が受動的に作品から情報を受け取って作品と同じ空間を共有するものであったが、同じく記録装置を用いる河口の作品は、それに反して鑑賞者が作品から情報を受け取るものではなく、鑑賞者自体が作品に情報を与えるものであった。《172800秒》から生み出された《172800秒・光景の封印》、《172800秒・音の吸収》は記録装置が空間内に配置されることによって作られた環境によって生み出されたものであり、そこに流れる時間自体を取り出すことによって、〈かつてあった(かもしれない)もの〉を作品によって提示するという、科学的な想像力とロマンティシズムを兼ね備えた作品となっている。

 
河口の作品は、ものとしての記録メディアの存在が強く刻印されながらも、内包された記憶が知覚できる存在として立ち上がってこないため、視覚的聴覚的な認識が宙吊りになる。しかし、記録されたものを〈聴くことができず、見ることもできない〉ということの不自由さは不快感や不充足感に繋がるわけではない。作品に内包された記憶を能動的に鑑賞しようとする時、その閉じ込められたプロセスと共に〈かつてあった(かもしれない)もの〉がイメージの内に立ち現れてくるからだ。

 前述のように、河口は時間を物質として客体化するために記録メディアとしてのテープやフィルムを封印し、展示空間から引き離された現象としてのイメージを圧縮されたオブジェとして提示した。長い時間の変化を記録はするが知覚はできない存在として提示する河口の作品は、展覧会が一過性のインスタレーションとして終了した後も、《172800秒・光景の封印》、《172800秒・音の吸収》などの作品名で示されるとおり、展示空間で生じた変化を「吸収」し「封印」することで作品を見られる客体として提示する。かつて展覧会で《172800秒》を鑑賞した人々は、自らが見られる客体として存在した時間のことを主体として想起することになる。過去と現在を往還し、〈今ここにあるもの〉から〈かつてあった(かもしれない)もの〉を考えるとき、展開されたイメージの中で主体と客体が融解していく。

おわりに

 
河口龍夫の「1971年の172800秒から2021年の345600秒へ」における経験を中心に、見られることと記録されることという2つの側面から考察してきた。知覚することのできない時間に思いを馳せる体験や、作品を見ていたと思ったら見られているという主客が転倒することへの驚きは日頃作品を安全圏から見る経験しかしていない自分からすると、本展覧会での経験は非常に刺激的なものであった。河口の作品には、あるものに内包された時間を封印することで、時間と空間を切り離し、〈かつてあった(かもしれない)もの〉を鑑賞者に想起させる効果がある。インスタレーションに参加させられた鑑賞者達は、会期が終わった後も圧縮されたオブジェとして作品の中の記憶として存在し続ける。「1971年の172800秒から2021年の345600秒へ」もまた新しい作品として提示されるだろう。その作品を前にした時、私自身が展覧会をどのように想起するのか、今から楽しみである。

 また、本稿では言及できなかったが、《172800秒・光景の封印》、《172800秒・音の吸収》をフロッタージュした作品、《フロッタージュされた光景》や《フロッタージュされた音の吸収》という作品が何枚も存在する。テープやフィルムというもの自体は複製可能かつ均質なものであるが、鉛漬けにすることによってオブジェとしての強度を獲得することができる。それをさらに紙に鉛筆で転写し、メディアを変化させながら複製することで作品の記号性が高まり、作品に内包された時間を想起することよりも記録装置そのもののイメージを喚起させる存在へと変化していく。使用された記録装置そのものが一つのモチーフとして画面に定着する時、〈かつてあった(かもしれない)もの〉への距離はどのように変わるのだろうか?この問いに関しては今後の課題としたい。

*1 ロラン・バルト著、花輪光訳『明るい部屋 写真についての覚書』みすず書房、1985年、46頁。

*2 河口龍夫「1971年の172800秒から2021年の345600秒へ——あるいは時のブーメラン」『河口龍夫 1971年の172800秒から2021年の345600秒へ』SNOW Contemporary、2021、4頁。

*3 東野芳明「河口龍夫=関係発生家が乞食の前でたじろぐ時」『みづゑ』1974年8月、46頁。
*4 中原佑介「芸術の環境化と環境の芸術化」『美術手帖』1967年6月、131~141頁。