制作哲学のために──ポイエーシス、ブリコラージュ、蛋白質

村山 悟郎

1. ポイエーシスの時間性

 
美術家が制作論を書くということは、その美術家が「制作」をどのように位置付けているかという前提から始まる。アリストテレスによる知の三区分であるテオリア(理論)・プラクシス(実践)・ポイエーシス(制作)[1]が強力なのは、その位置付けに寄与するからだけではなく、それぞれの芸術文化の知がどのような力点を持っているかを、その三相の関数として理解することができるからだ。例えば、日本の美大では芸術創作のことを総じて「制作」と呼ぶが、ロンドンの美大[2]ではpractice(実践)と呼んでいた。イギリスの美術教育が、社会や自然に働きかける人間の活動としての芸術実践に重きをおくのに対して、日本の美術教育が、素材や媒体そして自らの手で形づくる芸術制作に重きをおいていることは、興味深い差である。これは両者の美大における工房の差としても如実に表れている。日本の美大の工房では、工房助手から講習を受けて作者自身が制作するのに対して、イギリスの美大の工房では、テクニシャンにプランやドローイングを提示して、機材作業はたいていテクニシャンが行う。つまり、日本では手仕事に大きな価値を置いているが、イギリスでは手仕事よりもアイデアやコンセプトに力点があると言えるだろう。もちろん日本やイギリスが一様にそうだと言いたいわけはないが[3]、理論・実践・制作に対する力点の置き方は明らかに芸術文化や作家性によって異なるであろう。筆者はと言えば、制作を理論的に扱いつつ遂行しようという立場をとる。では制作:ポイエーシスとはいったい何か。本稿では、アリストテレスのポイエーシス、レヴィ=ストロースのブリコラージュ、そして現代科学のタンパク質へと展開しながら、自作の制作哲学について述べてみたい。

 
制作の根源的な概念であるポイエーシス(poiesis)を、現代においてどのように解釈しうるだろうか。神の全き創造としての非時間的なポイエーシス、あるいは自然の出来、そして神の業に倣いつつ時間の地平において人間の小さなコスモスを創造するミメーシスとしてのポイエーシスまで、ポイエーシスは世界の諸相において見出される[4]。プラトンによればポイエーシスとは、「未だそれとして顕在化していないものを存在として成立せしめる原因」であり、人間の制作においては特に「ムーシケー(詩・音楽・舞踏の綜合)と韻律に関わるもの」を指しており、ポイエーシス(詩作)とテクネーは区別されている(『饗宴』)。また、アリストテレスは、この詩作の可能性を積極的に評価して「歴史家はすでに生起した事実を語るのに対し、詩人は生起する可能性のある事象を語る」としてポイエーシス(詩作)とヒストリアー(歴史的記述)とを対比した[5][以降、本稿ではポイエーシスを特に詩作の意味で用いるとき、ポイエーシス(詩作)と表記する]
 
ここで着目したいのが、ポイエーシスの時間性についてである。ポイエーシスとテクネー、あるいはポイエーシスとヒストリアーとを対比するとき、そこには類比的に2つの時間的位相が見出される。それは、動的な時間と静的な時間、時間のさなかでプロセスを分別してゆく知と、固定されたシークエンスを記述/遂行してゆく知との違いである。テクネー(技術)とは制作の性能の一種であるが、再生産や学びとして伝達可能な知識であるために、その製作手順が確立されたシークエンスでなければならない。またヒストリアーも、事実系列が確定されなければ記述の形をとることはできない。つまり、テクネーやヒストリアーの静的な時間とは、当の現実の外側へと経験の系列を取り出し、そこに形や意味を与えるのである。他方、ポイエーシスの動的な時間とは、当の現実性の内側に留まり、そのさなかで行為や要素を分別しながら、多から一なるものへと秩序を為す知に関わるのである。

2. ブリコラージュの質料と偶運

 
ポイエーシスを、詩・音楽・舞踏における媒体(言語、音階、リズム)に特異的なものとしてではなく、その動的な時間性に着目することで、概念的に敷衍することが可能になる。では、より質料性に重点を置かれる美術において、ポイエーシスとはどのようなものであり得るか。ここで文化人類学者のレヴィ=ストロースのブリコラージュの議論[6]を参照する。
 
レヴィ=ストロースは、原住民部族の神話的思考を一種の知的なブリコラージュ(bricolage 器用仕事:玄人とはちがって、ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作る)と述べた。語源になっている動詞のブリコレ(bricoler)は、球技、狩猟、馬術などに用いられ、ボールのイレギュラー、犬が迷う、馬が障害物をさけてコースから逸れるというような、当のゲームの構造において必然的でない出来事、非本来的な偶発運動を指している。レヴィ=ストロースは、このブリコラージュを行う者:ブリコルール(bricoleur: 器用人)を、エンジニア(科学技術者)と峻別するために、<必然と偶然>あるいは<出来事と構造>という二項関係を用いて説明する。ブリコルールは、計画とは関係なく、雑多な持ち合わせの材料の集合を作業環境として構成する。多種多様な仕事にたいして、材料の用途は一つに限定されることはない(何かに使えそうな材料)。ブリコラージュは、その集合を必要に応じて組み替えるだけであり、集合を概念的に拡張したり更新したりはしないつまり、偶然的な出来事(たまたまとっておいた材料)の集合から、必然的な構造や機能を作り出すのである。一方、エンジニアはというと、計画され、考案・購入された材料/器具を要する。時代や文明に手段が規定されるものの、仕事に使われる資材の集合や技術体系を概念的に拡張することができる。製作のなかで起きた偶然の出来事と再現的におきる必然とを区別し、構造(仮説と理論)から成果としての出来事を作り出すのである。
 
このブリコルールとエンジニアの対比は、ポイエーシスとテクネーの対比と似ているようだ。本論の主張する筋からすれば、ブリコラージュとはプロセスや環境のなかに質料的偶有性を孕んだ制作である、と言い換えたい。先住民部族の生態環境は厳しい自然状況のなかにあるので、そのなかでロバストに構造や機能を生み出すには、偶有的で柔軟な作業環境が必要であることは想像に難くない。ここでさらに、ブリコラージュとポイエーシスを結びつけるために、レヴィ=ストロースの調査した原住民美術の興味深い例をあげてみたい。

画像1a : 顔面塗飾を施したカデュヴェオ族の女
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯・上』、p239

画像1b : 顔面塗飾の例向き合った二つの渦巻きから成るモチーフは上唇を表し、上唇の上に描かれることに注意同上p290

 これはブラジル領のパラグアイとの国境地方に住むカデュヴェオ族(CADUVEO)が、顔や身体に描く文様装飾である【画像1a,b】。これらが最初に記述報告されたのは1760 -70年頃、彼らと共に暮らしたイエズス会の宣教師によるもので、その一世紀後にはボジアーニが精緻な複製画を残し、1935年にレヴィ=ストロースが400点ものモチーフを採取した[7]。少なくとも200年以上は継承されてきたであろうこの芸術は、更に15年後、再びブラジル人研究者によって収集された際も、同様であったという。
 
この装飾は、主に若い女性の顔や身体に、他の女性が描く抽象的文様であり(同族の男は自然主義的描写の彫刻を作る)、性的魅力を表現することに寄与している。ジェニパポの汁(酸化すると青黒く変色する)に浸した細い竹のヘラを用いて、モデルに下描きも印もつけずに即興で描いてゆく。どこか一つの隅から出発し、躊躇なく、消すこともなく終わりまで続けられる。レヴィ=ストロースはこの文様を、白い紙に描くよう女性達に促して400点ほど収集したが、それらはどれも異なったヴァリエーションであったという。支持体が紙であっても、文様は当惑なく描かれており、必ずしも顔の形(目、鼻、頰、額、顎)には制約を受けていない。線の形は、渦巻、S字、十字、菱形、ギリシア式直線、渦形などの要素で構成されており、二つの様式の規則的な組み合わせが見られる。例えば、縁取りや枠組みを幾何学的な線で、中心になる文様を曲線で、といった具合に。全体の構図は、「/」「X」「+」あるいは風車型に分割され、そこに文様が対称/非対称型に対置される。図柄と地がほぼ等しい面積を持っていて、陰画 陽画として見ることもできる。
 
レヴィ=ストロースは、これらの文様の構造について、原住民社会の婚姻制度など社会学的次元に通底して見られる二元主義的様式と類似していると分析する。男と女、絵画と彫刻、表象と抽象、直線と曲線、頭と体、地と図、等々。この構図は、カデュヴェオ族社会にとって必然的な構造を体現しているというわけだ。これらの文様が、先住民達にとってどのような意味を持つか、宣教師達との対話記録からも伺い知ることもできる。

「なぜ、あなたがたはそんなに愚かなのか」。「なぜ、われわれが愚かなのか」。「なぜなら、あなたがたは、エイグヮイェギ族(カデュヴェオ族の一部族)のように体に絵を描いていないからだ」。

つまり、描くことは、野生のままの状態から自らを人間へと為す営みなのである。また、文様装飾は社会組織への帰属性にも関わっており、貴族のカーストは額だけ、平民は顔全体といった具合に、カーストによって様式も構成も異なる塗飾は、社会的身分の序列を表してもいる。このように具体的概念や構造を表現する抽象的図像を「具体的抽象」と呼んでみても良いかもしれない。

 ところで、文様が描かれた事後にそれが何を意味するか解釈するのではなく、描く動態としてみたときブリコラージュとポイエーシスの結び目がはっきりと浮かび上がってくる。レヴィ=ストロースはこれについても鋭い洞察を与えている。

しかしこれらの(二元主義的な)対置は、作業の終わった後に認められるのであり、静的な性格のものだ。芸術の動態、つまりモティーフが着想され描かれる遣り方は、この基本的な二元性をあらゆる面で裁断し直す。なぜなら、第一次の主題は先ずばらばらに解体され、次いで第二次の主題に再構成されるが、第二次の主題は、第一次の主題から借用された断片を、仮の統一に組み入れるからである。しかも、まるで手品の業にかけられたように最初の統一が再び姿を現わすような遣り方で、これらの断片は接合されるのである。最後に、こうした方法によって得られる錯綜した装飾は、それ自体が再び分断され、紋章の十字型の四分割 そこでは二つの装飾が、単に一方から他方へ繰り返されるか、彩色され直しただけの二つの部分が二組対置され、四つの区画に分割される に似た方法で対置されるのである。」(レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』上 p300

ここで見られる制作は、レヴィ=ストロースがブリコラージュにおいて述べるところの「偶然的な出来事の集合から、必然的な構造を作り出す」というプロセスであり、制作に先立って企図されていたモチーフを具現化するという単純な理路をとっていない。以下の身体装飾の文様【画像2】についての記述も併せて引用する。

画像2 : 身体装飾。レヴィ=ストロースが、1935年に採録したもの(レヴィ=ストロース『悲しき熱帯・上』p298

「それを描いた女は、先ず波形のリボンを描き、次いで空いている部分を楯型模様で飾ったのではない。彼女の遣り方はこれとは異なっており、そしてもっと込み入っている。彼女は舗石工夫のように、同一の要素を使って、順に繋がってゆく列を作る作業をしたのである。(中略)要素と要素は、接着せずに一つが他のものの上に鱗状に重ね合わされているのであり、作業が終わって初めて、図は一つの安定を見出し、全体としてそれが作られた動的な方法が確定されもし、隠されてもしまうのである。」(レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』上 p299

このように芸術の動態を捉えることで、彼女のブリコラージュの時間的様相が見えてくる。線描で詩を詠うように、描くプロセスのなかには図案が生起する可能性のある選択肢群が埋め込まれており、それは仕事が進むにつれて明確になってゆく。一つの線は、単一の目的でそこに布置されるのではなく、偶運の状況をつくりだす。このような芸術の動態が、その作品の意味解釈の次元と同等か、あるいはそれ以上に重要である場合、その制作特性はプロセスの偶有性に力点を置いたポイエーシスであると考えて良いだろう。筆者のドローイングもまた、下描きも消すこともなく描かれている【画像3a,b,c】。

画像3a : 制作プロセスの記録写真
村山悟郎《矩形の生成 黄金比Ⅳ》2021.
パネルに和紙、アクリリック、コバルト顔料 698×1131mm

画像3b : 同上

画像3c : 同上

 上述のようにプロセスのさなかで新たな局面を導き出すような知性が、ブリコラージュにも多分に含まれている。ムーシケーと韻律に関わるポイエーシス(詩作)が、ブリコラージュでは質料を伴った制作として具現化している。ブリコラージュの質料が、たとえポイエーシス(詩作)の媒体(言語・音階・リズム)よりも抽象度の低い具体的個物であるとしても、その質料に偶然性の契機を重ね見ることによって、「質料の詩」は生まれる。かくゆうアリストテレスも、「偶運と技術(制作)は或る意味では同じものにかかわる」[8]と述べている。レヴィ=ストロースの<偶然と必然><出来事と構造>という観点は、ブリコラージュのもつ偶有性に活気をもたらし、<ブリコラージュとテクノロジー>=<ポイエーシスとテクネー>の概念的類推を可能とするのだ。

 
ポイエーシス(詩作)とブリコラージュを対比してみると、必ずしも同一の概念ではない。ブリコラージュの制作物は、そこに潜在している偶有的なプロセスを完成と同時に隠し、主に意味や機能の次元で働きをもつ。ところがポイエーシス(詩作)では、時間のさなかにある詩人の創意は、時間系列を為す媒体(言語・音階・リズム)によって、創意の全てを明かすわけではないにせよ、鑑賞者にとっても時系列的に生起するからである。つまり、詩作することと詩を詠むことの間に、時間性の共有が含まれている。しかし、両者の制作の位相においては、同様の偶有性が内蔵されている。ブリコラージュでは、制作環境のなかに多並行分散した偶運の質料を、ポイエーシス(詩作)では、系列のなかに可能性の媒体を、偶有性として抱え持つのである。

3. 蛋白質の生成系

 
ここまで人間のポイエーシスに着目してその解釈について述べてきた。ポイエーシスとは、言語・音階・リズムといった媒体、あるいは機能や用途の多重化した質料によって偶有性を孕みつつ、時間のさなかで分別される系列の束であり、芸術を動態として捉える制作の在り方である。ポイエーシスの時間性についてさらに踏み込んで言えば、時間のさなかにありながらも、構成要素の配置によって自ら時間に切れ目を入れる、離散的な時間の自己組織化なのである。ところで、このような一般化がある程度は正しいとすれば、実のところ芸術に限らず、ゲームのように時間と規則に自由度の制限を与えた人間の知にもポイエーシスを見出すことができるのではないか。例えば、チェスや囲碁将棋の中盤戦のように、序盤の定石形や終盤の詰み筋といった知識や正答ではなく、対戦相手の指し手に応じながら最善手や新手を発明してゆく知の領域である。現代においては機械学習ソフトによって、その知の領域に人間とコンピュータが相互陥入していることも含めて、極めて興味深い。しかし、果たしてこうした制作知・詩作知の領域は人間に固有なものだろうか。否、生きた世界、自然の中にも似た現象は存在している。そこで次に、近年のCovid-19のパンデミックにあって研究進展の著しい、タンパク質の構造に着目してみたい。

 
タンパク質は、20種類のアミノ酸が枝分かれすることなく一本の鎖上につながった生体高分子である[9]。たった20種のアミノ酸の順列組み合わせだけで多様なタンパク質は形成されており、生命体全体では2億以上のタンパク質が知られている。また、2020年時点では17万ものタンパク質の立体構造が同定されプロテインデータバンク(PDB)に登録されている。タンパク質の立体構造は、アミノ酸の連なった鎖が折りたたまれることで形成する。各アミノ酸が連なり結合するだけでなく、配列上では遠くにあっても折りたたまれる過程で空間的に隣接したアミノ酸が、協同的に相互作用しているからだと考えられている。この折りたたみは、フォールディングfoldingと呼ばれ、その類型は1000種類程度が同定されているが、あり得るフォールドの類型は10000種程度もあると考えられている。
 
タンパク質構造の観測方法は、実験による立体構造解析法、X線結晶解析、NMRNuclear Magnetic Resonance Spectroscopy)、電子顕微鏡法の三つがある。タンパク質は、アミノ酸配列 立体構造 機能の三者が関係付けられた暗号システムのようなものだ。この複雑な問題を解くために、複数の観測を重ね合わせた比較法、構造の分類、また実験観測だけでなく二次構造や三次構造の予測計算、分子運動やフォールディングのシミュレーションなど、構造バイオインフォマティクスの分野が発展してきた。2020年にはGoogle傘下のDeepMind社が開発したAIAlphaFold(アルファフォールド)」[10]が注目を集めている。AlphaFoldは、CASP(タンパク質の立体構造予測法の国際会議)のタンパク質構造予測コンテストで、2018年と2020年に驚異的な精度で第一位の成績を収めている。このコンテストは、問題として与えられたアミノ酸配列からフォールディングの構造予測を行うものだ。出題されるアミノ酸配列は、近く実験観測で構造が同定される予定のタンパク質であり、AlphaFoldは9割以上という驚異的な精度で構造を予測することに成功している。ここで探求されているタンパク質の構造予測とはどのような問いか。以下に見てゆくように、タンパク質の構造が一次構造、二次構造、三次構造、四次構造と次元の階層を上がるように高次化する生成構造に関わっている。

 
タンパク質の一次構造とは、アミノ酸が線型に連なったものだ。アミノ酸から水1分子に相当する原子がとれた構造をアミノ酸残基といい、このアミノ酸残基のペプチド結合を一次構造(ポリペプチド鎖)と呼ぶ。全てのアミノ酸が共通して持つ結合部(アミノ基[N末端]α炭素、α炭素に共有結合する水素、カルボキシル基[C末端])によって連なった部分を「主鎖」と呼び、各アミノ酸で異なる結合部を「側鎖」という。タンパク質の一次構造は、アミノ基から合成されるのでN末端から記述される。
 
細胞内におけるタンパク質の合成は、細胞の小胞体表面や細胞質にあるリボソームによって行われる。リボソームは、RNAとタンパク質によって構成された巨大分子複合体でありmRNAに結合したアミノ酸を1残基ずつ取り込んでタンパク質の生合成を行なっている。リボソームによってN末端側から合成されるタンパク質は、その中途状態ではフォールドすることができず、分子シャペロンと呼ばれる介助タンパク質に結合している。アミノ酸残基が数百以上におよぶ複雑なタンパク質の多くは、分子シャペロンの助けによってフォールディングを完了する。また、膜タンパク質は、小胞体表面に存在するリボソームで生合成され、合成途中のタンパク質はそのまま小胞体膜にある透過装置トランスロコンを通って、一次構造のまま伸長した状態で生体膜に侵入し、侵入とともにフォールディングして三次構造を達成するRNAにコードされた遺伝情報から一次構造へ翻訳された後に、N末端側アミノ酸基の切除や、リン酸基や糖による修飾、あるいは一次構造を形成する化学結合の改変がなされること等が知られている。

画像4 : タンパク質の二次構造 βシートとαヘリックス

 二次構造は、主鎖のアミノ基とカルボキシル基の水素結合が周期的に形成されることによって、部分構造として構築される。代表的な二次構造として、αヘリックス、βシート、βターンがある【画像4】。αヘリックスは、一次構造配列の i 番目のアミノ酸主鎖カルボキシル基の酸素原子と、i+4番目の主鎖アミノ基の水素原子が水素結合し、この間隔による水素結合が4個以上連続した構造である。そうしてαヘリックスの主鎖は、右巻きの螺旋構造を形成する。
 
βシートは、平行βシートと逆平行βシートがある。平行βシートは複数の主鎖が平行して結合した構造であり、主鎖i番目、i+2番目、i+4番目… のアミノ基水素原子とカルボキシル基酸素原子が、並走する一次構造配列のそれぞれi番目、i+2番目、i+4番目… のアミノ基水素原子とカルボキシル基酸素原子と対応して水素結合することで形成される。逆平行βシートの場合は、逆向きに並走する一次構造が結合することで形成される。
 
これらの二次構造を形成していない鎖状部分は、ループ/コイルと総称される。また、二次構造自体が順々に形成されて特定のシークエンスを作り出す場合、例えば(βシート ループ αヘリックス ループ βシートの順で出現し、二本のβシートが平行βシートを形成する)を超二次構造と呼ぶ。

画像5 : 藤博幸編『タンパク質の立体構造入門 基礎から構造バイオインフォマティクスへ』p10より
「タンパク質構造のダイアグラム・フォールド(Ribbon model)とトポロジー」
フォールドにおける螺旋構造がαヘリックスを、矢印構造がβシートを意味する。トポロジーでは、長方形がαヘリックスを、矢印構造がβストランドを意味し、βストランドの並び方と矢印の向きでβシートを表している。

 三次構造は、タンパク質の一次構造配列によって熱力学的に自ずと規定され、それぞれのタンパク質が固有の三次構造を持っている。タンパク質の三次構造を形成する過程をフォールディングとよぶ。フォールディングを模式的に描いたダイアグラムは、リボンモデル(Ribbon model)と呼ばれ【画像5】、滑らかなテープ状のリボンで表されている。αヘリックスとβシートの部分をやや幅広くし、βシートのC末端側に進行方向の矢印をつける。このスタイルはタンパク質の構造を表現する標準的な手法で、アメリカの生物物理学者Jane S. Richardson[11]の画風を継承している【画像6a,b】。コンピューターグラフィックが普及する以前、1981年に手描きで描かれており、複雑なタンパク質の具体的な構造を、人間が理解するために抽象的に縮減して二次元平面に表現している。

画像6a : Jane S. Richardson “The Anatomy and Taxonomy of Protein Structure” Advances in Protein Chemistry (1981) fig.1
リボヌクレアーゼ Sのポリペプチド骨格を模式的に示したもの。Sペプチドは構造体の背面を横切るように折りたたまれている。

画像6b : Jane S. Richardson, 1981, 手描き、色鉛筆による着色。
トリオスリン酸イソメラーゼの立体構造。

 タンパク質のフォールドの種類は限られていることがわかっており、疎水性相互作用、主鎖の水素結合、タンパク質内部の側鎖イオン対形成、ファンデルワールス力など複合的な原子間の相互作用によって安定を保っている。例えば、疎水性相互作用は、多くのタンパク質が水中に存在しているという環境との関係にある。結合子であるアミノ酸残基は、水との相互作用のタイプによって、親水性、疎水性、両親媒性の三種類の特性を分かれ持っているため、疎水的な側鎖は水から逃げ、親水的な側鎖は逆に水と相互作用しようと外側に張り出す。その結果、一次構造を崩さない程度にまとまろうとする力が働き、三次構造は球状に折りたたまれるのである。
 
フォールディングしたタンパク質は常にゆらいでおり、温度をあげるなど非生理的な条件では容易に変性する。しかし、鎖状に崩れたタンパク質は、条件が整えば試験管の中でも自発的に元の構造にフォールディングすることができる。この事実は、形成される構造が熱力学的に安定であることを示している。タンパク質は多様な構造を持つが、三次構造の変性やフォールディングには生化学的な普遍性があり、これをアイフィンゼンの熱力学原理と呼ぶ。アイゼンフィンは「活性をもつタンパク質の構造はそのアミノ酸配列情報のみによって一意に決定されており」「活性を持つ構造が熱力学的に最安定な構造である」と述べている。アイフィンゼンの熱力学原理が正しいことは、生体内で合成途中のタンパク質が合成を完了するまでフォールドしないことや、タンパク質のアミノ酸配列がたった一ヶ所変化しただけでも変性温度の値が敏感に変動することからも分かる。また、タンパク質のあるαヘリックス部分を切り出すと、ほとんどの場合その構造を保持することができないことから、タンパク質の部分構造は、全体が存在してはじめて安定している。タンパク質の構造予測とは、このアイフィンゼンの熱力学原理に依っており、Alphafoldのシミュレーションは、アミノ酸配列情報のみから一意的にフォールディングを計算する問題に関わっている。
 
四次構造は、複数のタンパク質つまり三次構造の集合体である。生体中では、このタンパク質複合体が形成され機能する場合が非常に多い。一種類のタンパク質が複数あつまって構成されるホモオリゴマー、複数種のタンパク質から構成されるヘテロオリゴマーがある。例えば、ウィルスの外郭は二種類のサブユニットが60回反復して大きな球状構造を作っている。四次構造を形成しているタンパク質相互の界面では、各サブユニットの三次構造が織りなす凸凹がよく合致している。片方のサブユニットの凸部は、もう片方のサブユニットの凹部と相互作用している場合が多い。それぞれの界面が相補的な構造になっており、密に詰まっている。

 
このような複雑な構造を形成するタンパク質であるが、その機能は構造と大きく関係している。代表的な機能である酵素タンパク質を見ると、酵素の機能部位はタンパク質の三次元構造がつくる”くぼみ”(cleft)や割れ目に存在することが多い。このくぼみに、特定の低分子化合物が適合し、生化学反応を触媒したり、基質を運搬する。これは多くのタンパク質の重要な機能の一つであり、特に酵素タンパク質は高い基質特異性を持っている。
 
19世紀末、化学者のヘルマン・エミール・フィッシャーは「鍵と鍵穴説(lock and key model)」を唱えた。基質分子を「鍵」、タンパク質結合部位を「鍵穴」と見立て、それらの形や物性が相補的でぴったり結合できることが、酵素の基質特異性の要因であると主張した。これは当時、一つの仮説であったが、その後の解析により、タンパク質と基質は相補的な形状をしていることがわかってきたのである。鍵と鍵穴説をよく説明してくれるのは創薬の逸話である。1928年、細菌学者のアレクサンダー・フレミングが偶然に発見した抗生物質ペニシリンは、細菌の細胞壁を合成するD-Dペプチターゼという酵素に結合して阻害することがわかっている。ヒトの細胞には細胞壁がないからD-Dペプチターゼもなく、無害である。このように効果の高い薬のほとんどは特定の生体分子だけに結合し、その機能を阻害する。近年の身近な例でいえば、「タミフル」がタンパク質の立体構造情報にもとづく薬剤設計の代表例である。

 
ここまでタンパク質の構造について概観してきた。その途方もない自然の制作には驚嘆する他ない。そして科学者の執念深い観照にただただ感嘆するばかりである。今一度、本論の筋に立ち返って、タンパク質の構造を思考題材としながら自然の制作 ポイエーシスを検討しよう。
 
RNAにコードされた有限のアミノ酸配列とは、一次元的な時間の系列を為している。本論において制作とは、時間のさなかでプロセスを分別してゆくポイエーシスと、固定されたシークエンスを記述/遂行してゆくテクネーに分かれると述べた。遺伝子によってコードされた構造の製作=テクネーと、何世代も偶発的な変異を重ねた制作=ポイエーシスが、複合的な制作システムとしてここまで驚くべき構造の多様性を生み出している。
 
進化の中で変異がどのように作用しているか、これが自然のポイエーシスにとって要ではあるが、遺伝子の働きもまた甚だ難解であり、引き続き科学研究の進展を見守らなければならない。このような複雑なタンパク質の構造は、いったいどのようにして創り出されたのか。進化論の枠組みも、分子ミクロの世界におけるタンパク質構造の進化においては、ダーウィン流の表現型と自然淘汰による適応とは異なった進化の見方が必要になる。タンパク質の一次構造は、アミノ酸残基の置換や挿入、欠失に伴って変化してゆくことが知られている。しかし、タンパク質をコードしている遺伝子の突然変異だけで、都合の良い位置のアミノ酸残基が置換される可能性は低いと考えられている。タンパク質の機能に多大な影響をおよぼす一次構造の変化が起こってしまっても、次の世代に受け継がれることはないからだ。大抵の場合、このような変化を起こしたタンパク質はそもそも機能を果たせなくなる。だから、むしろタンパク質の機能にさほど影響をおよぼさない変化、つまり適応に有利でも不利でもない中立な変異が次世代に受け継がれてゆく(分子進化の中立説[12])。中立な遺伝的変化は、偶然に個体群の中で広がってゆくか、消えるかするが、この遺伝的浮動が遺伝的多様性や前適応の要因と考えられている。
 
一次構造のどのような変化が次世代に受け継がれてきたかは、異なる生物が持つ共通祖先由来のタンパク質を比較することで調べることができる。祖先タンパク質を共有している場合、それらの立体構造は類似していることが多い。つまり、機能体としての三次構造は一次構造よりも進化的に保存しやすいと言える。例えば、血色素ヘモグロビンは酸素と結合して運ぶという機能を担っており、高等な脊椎動物に共通したタンパク質である。哺乳類では全て141個のアミノ酸配列であり、ヒトとゴリラでは1箇所、ウシ・ウマ・イヌ・ウサギなどでは20箇所ほど部分的に配列が異なっているだけである。また、ヒトのヘモグロビンα鎖、二枚貝のヘモグロビン、あるいはシアノバクテリアのフィコシニアンなど、アミノ酸配列の一致度は19% 9%しかないが、分子全体の概形は維持されており、ヘモグロビンとフィコシニアンは遺伝的に遠い類縁関係があると考えられている。このヘモグロビンの分子進化速度について木村資生の計算による推定値では、哺乳動物のヘモグロビンは平均して2年に1個くらいの頻度で新しい突然変異(DNA塩基の変化)を蓄積してきたという[13]。ヘモグロビンと酸素が結合する機能部位はそのままに、変化を及ぼさない中立な変異が蓄積されているのである。
 
例証として、塩基配列が置き換わっても、同じアミノ酸を指定するような変異がある。遺伝子コードとアミノ酸は11対応しているわけではなく、多くの場合、一つのアミノ酸に対しては複数のRNA塩基パターン( A, U, G, C のうち3つの配列「コドン」)が対応しており、これを「縮退 degeneracy」という。例えば、GAAGAGはどちらもグルタミン酸を指している。このような変異によって塩基が置き換わっても、アミノ酸は同義的にコードされうるのである。分子進化では、このような機能を変化させない塩基配列の変異が蓄積されている。
 
進化の中立説によって理解されるのは、表現型レベルと分子レベルの進化では位相が異なるということだ。それは環境とのカップリングにおいて、恒常性を持った体内環境下でのタンパク質の進化と、生存環境が変動する表現型の進化とで、それぞれ変異の寄与の仕方が異なるからであろう。ミクロな分子進化の特徴には、進化速度が一定であることや(分子時計)、機能に寄与しない変異が増進される保守性などがあげられる。表現型の進化では、ヒトと魚のように祖先を共にする種の変化に環境に応じて大きな落差が生じるが、分子進化では、両者ともアミノ酸配列に変化を起こす変異がほぼ同じ頻度で起こっているである。

 
こうした進化に含まれる表現型と分子の二つの相を思うと、比喩が過ぎるかもしれないが、前者をポイエーシス的、後者をテクネー的と見ることができるかもしれない。表現型の進化では偶然の変異は環境の分別にさらされ、分子進化では偶然の変異は機能に保守的である。表現型の変異は、ほとんどが生存にとって不利な場合が多いが、少しでも有利な変異は集団内へ広く拡大してゆく。いっぽう、分子進化におけるRNAコードの「縮退」などは、一意に用途の定まらない質料のような可能性の多重化であり、タンパク質であれ道具であれ、機能を果たす限りにおいて他の仕方でもありうるのだ。いずれにせよ、制作における工夫とは、プロセスや環境において偶有性を「どのように」「どの程度」組み込むかにかかっている。そうした観点から、自然の制作である進化には学ぶ点が極めて大きい。進化理論を詳細に検討すれば、人の生涯の制作時間、制作頻度と単位、素材の安定性、制作環境と外部環境などを勘案しながら制作活性をあげる偶然性の配置を体系化できるかもしれない。
 
進化論や遺伝学については、他にも興味深い知見がたくさんある。表現型の進化については、遺伝子の多面発現性、ホメオティック遺伝子、調節遺伝子(regulatory gene)、また遺伝子の変異の仕組みについては、「トランスポゾン」や「除去修復 excision repair」、そして複数種にまたがる進化については、マーギュリスによる「細胞内共生説」、ピーター・レイブンによる「共進化」の研究、細菌やウィルスによる遺伝子の水平伝播、等々。しかし、これらを統合しうるような進化理論とは甚だ難解であり、また、DNAを持つ核が生物史上どのように誕生したかは大きな謎のままである。この点については議論を留保しておくことにして、本論では、自然の複合的な制作の結果として現れたタンパク質の高次化する生成構造に注目する。

 
タンパク質は一次構造から二次、三次、そして四次構造へと段階的に構造を発展させている。目的論的に四次構造が先立って存在し、その上で一次構造から出発しているとは考えられない。カデュヴェオ族の女の絵が、反復する系列によって全体の図を完成させていたように、二次元平面の図案が先立って存在するのではなく、より単純な要素の偶発的な分別を組み合わせて高次のパターンが形成されたのと同様である。今こうして読んでいる文章の横の行を、縦の列として結びあわせて別の意味を構成してみよ(任意に改行し、クロスワードのようにすれば、新しい次元が出現する)。制作において、このような新たな次元が出現するような創発は、レヴィ=ストロースがブリコラージュをして「集合を概念的に拡張したり更新したりはしない。」と述べた限界を、破る可能性を秘めていると私は考えている。自らの視点を、一本の鎖、一次構造自体の視点へと繰り込んで考えてみる。そこには、紐自体が自ら織り上がって布を形成し、襞を作りながら複雑な構造へと折りたたまれてゆくような新たな次元の獲得がある。それは絵画を三次元空間から二次元へと縮減して描くことや、彫刻に先立って三次元空間の概念が存在することとは違う。タンパク質が自然に成し遂げている制作様態は、人間で言うならば、ポイエーシスをとおして新たに概念を拡張するような次元の創発である。それ自体が、それ自体として、それ自体のまま高次化するような事態なのである。

画像7 : 村山悟郎《「私」が再魔術化する時》2010.
織った麻紐に油彩 550×600cm
撮影:加藤健 協力:資生堂、ホルベイン工業株式会社、Takasho

4. 結語

 
タンパク質の制作における驚くべき次元の跳躍は、人間の制作をはるかに凌ぐ複雑さであるが、筆者は自身の制作と結びつけて捉えたいと思っている。自作の織物絵画については、既に別稿で詳細に論じた[14]ところであるので、簡単に概要を示しつつ、タンパク質の次元構造との類推へと議論を進めて結語としたい。
 
筆者の織物絵画【画像7】とは、支持体を一本の紐から織り上げ、カンバスを形成し、下地をほどこし、そこにパターンドローイングするという一連の連環プロセスによって制作される。紐は分岐構造を持ち、織物は樹状構造を生成しながら派生展開する。枝分かれになった支持体を描画領域として、パターンドローイングは進化の系統樹のように分派してゆく。この作品シリーズの制作に取り掛かってから5年ほどは、二次元平面の形状を維持しており、ちょうどβシートのように、隣り合う各枝が結合して一枚布を形成していた。分岐する樹状構造が、整序した結合を果たして一枚布を形成するためには、各枝の成長速度が同期している必要があり(でなければ枝が相互の空間を先んじて占有してしまう)、これは制作プロセスのシークエンスを管理することで実現していた。つまりこの時、私の中には二次元平面(絵画)という概念が制作に先立って存在していたのである。しかし、ある展覧会[15]に出品するにあたって、作品サイズの上限指定を受けた私は、制限サイズに収めるために自己組織的な制作プロセスを歪め、織物のシークエンス管理と作品サイズの調整を同時に行うという誤謬に向き合うことになった。タンパク質でいえば、変異を含む生合成と基質適合を同時に行うようなものだ。案の定、プロセスを経るごとに累進的に増加する枝群を管理しきれず、とはいえ、全体サイズをオーバーすることも出来ずに、エラーがおきた。成長が遅延して余剰となった枝が、周囲の枝に空間を占有され、同一平面上の位相空間を破って上部に飛び出るような事態になってしまったのである【画像8】。

画像8 : 村山悟郎《生成する平面》2013.
織った麻紐にアクリリック 370×250cm 撮影:上野則宏

 これは従来の二次元平面(絵画)という概念にとって、明らかなエラーであった。ところが、私の制作に新たな次元が出現する契機でもあったのである。これ以降、樹状構造の同期したシークエンスを排して、分岐した枝群の成長速度と手順を新たな変数として、多様な時空間構造を生成するモデルへと変態を遂げたのである【画像9】。このように、制作をとおして自らが高次化するような事態こそが創発であり、これは人間の小さき制作であれ、自然の制作であれ、同型と言えるのではないだろうか。

画像9 : 村山悟郎《「絵画は創発する」もっと別の速さで(もし樹の枝が通常の1000倍の頻度で分岐したら?)想像せよ》2014.
織った麻紐にアクリリック W.240 × H.230cm
高橋コレクション蔵 撮影:岡野圭

 2020年、私はCovid-19の猛威に触れ、Alphafoldの躍進もあって、タンパク質の構造について学び直し、その次元構造を自身の織物絵画の制作モデルでシミュレートすることを試みた[16]。その目的はタンパク質の構造を再現することではない。一つは自然の制作であるタンパク質と、人間の制作とが、それぞれ持っている「高次化するプロセス」を結びつけて示すことである。二つには、自然の制作および科学の認識を、自らの制作モデルをとおして「つくって感取する」というアプローチである。換言すれば、タンパク質の構造を参照することで自らのモデルが生成変化する、その経験化である。タンパク質αヘリックスの螺旋構造をモチーフとした「具体的抽象」として。
 
織物絵画は、パターンドローイングを描画するために、描画部は下地で硬化させなければならない。他方、織り部は柔らかく立体構造に織り上げて行く。このような織物絵画の硬性・軟性という相反する性質は、タンパク質がフォールディングするさいの疎水性・親水性という性質とよく似ている。図版【画像10】で示したように、織物絵画における螺旋構造の形成は、一次元系列の織物に、硬性の主枝と、軟性の側枝を生成し、平面状で先にパターンドローイングを描画して、その後に立体構造へと折りたたんでいった。側枝を、主枝の螺旋構造を保持するブリッジのようにして立体構造へと織りつけるのだ。このプロセスは、まるで膜タンパク質が伸長した一次状態で生体膜に侵入し、侵入とともにフォールディングを達成するのと同じ様である。構造は参照しているが、プロセスを再現したわけではない。にもかかわらず、私の織物絵画モデルはタンパク質構造に僅かながら生成変化してしまったようである。人から犬への生成変化を、ドゥルーズ=ガタリが語ったように[17]。人が四つん這いになって口に何かを咥えると同時に、手は、靴を履くことで犬の前足に為っている。私の支持体は、タンパク質の構造のごく一部をシミュレートすることで、硬性と軟性という変数を新たに認識し、立体構造を織り成す段階的プロセスを導入するに至った。

画像10 : 制作プロセスの記録写真
村山悟郎《Painting folding -「これと合致する身体を構想せよ」》2020.

 タンパク質の緻密で膨大な複雑さから伺い知ることができるのは、自然の豊かさだけではない。現代の諸科学が高度に専門化し、私たちの直観がますます困窮している事実も、同時に知らしめる。本作における制作は、タンパク質の構造に自ら為り、プロセスとして直感的に理解する、その一助となるだけでなく、自然の制作と人間の制作を結び合わせるものだ。ポイエーシスとは、時間的系列のなかで偶然性を孕んだ分別をへて、自ら高次化する生成力である。タンパク質はその高次化する制作によって、鍵と鍵穴のように、自らが創り出す構造と生体分子との結合を発明してきた。翻って、「わたし」と「あなた」の身体や心の様相が、相互に合致することが愛なのだとしたら、私たちは愛を発明せねばならない。自らを形づくり、美や愛を発明すること。究極的には、これが自然と人間に共通するポイエーシスの目的である。【画像11

画像11 : 村山悟郎《Painting folding -「これと合致する身体を構想せよ」》2020.
織った麻紐にアクリリック、参照画像 W160×H200×D30cm(画像 H130× W118cm
3D structure of the 2019-nCoV coronavirus spike, a target for vaccine against Covid-19. PDB 6VSB —reference Image
高橋コレクション蔵 撮影:中川周


参考文献・註:

[1] アリストテレス全集『ニコマコス倫理学』加藤信明訳、岩波書店(1973)第6巻第四章 p188-189
[2] Chelsea Collage of Art and Design、筆者が2010-11年に交換留学した経験に基づく。
[3] ディヴィット・ホックニーは、ロイヤル・アカデミーでの個展にさいして、ダミアン・ハーストを批判した(2012)。https://www.afpbb.com/articles/-/2848486
[4] 藤田一美『「ミメーシスとポイエーシス」新岩波講座 哲学13 超越と創造』岩波書店(1986p126-156
[5] アリストテレス全集『詩学』今道友信訳、岩波書店(1972)第九章 p38
[6] クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』大橋保夫訳、みすず書房(1976)第一章
[7]クロード・レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』川田順造訳、中央公論社(1977)第五部
[8] アリストテレス全集『ニコマコス倫理学』加藤信明訳、岩波書店(1973)第6巻第四章 p188-189
[9] 藤博幸編『タンパク質の立体構造入門 -基礎から構造バイオインフォマティクスへ』講談社(2010 タンパク質についての項については本書を手引きとして引用要約した。
[10] https://deepmind.com/research/case-studies/alphafold
[11] Jane S. Richardson “The Anatomy and Taxonomy of Protein Structure” Advances in Protein Chemistry (1981)
[12] 木村資生『分子進化の中立説』紀伊国屋書店(1986
[13] 木村資生『生物進化を考える』岩波書店(1988
[14] 村山悟郎「創発する絵画」『東京藝術大学 美術研究科 博士論文』2015.7
[15] 図録『VOCA2013 現代美術の展望 ─ 新しい平面の作家たち』上野の森美術館(2013
[16] 四方幸子『科学と芸術の連携から生まれる創造的転回。「村山悟郎 Painting Folding」展』WEB版美術手帖(2021
https://bijutsutecho.com/magazine/review/23511
[17] ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『千のプラトー 資本主義と分裂症』宇野邦一、田中敏彦、小沢秋広訳、河出書房新社(1994