伊藤亜紗『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』

アダム・タカハシ

伊藤亜紗『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』
講談社学術文庫、2021

 伊藤亜紗の著作『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』は、美学や詩学といった狭い学問領域にのみかかわるのではなく、人間そして言語の本性の理解に大きく貢献するきわめて重要な作品である。この著作のなかで伊藤は、具体的には「詩」と「身体」という二つの論点を軸に、フランスの詩人ポール・ヴァレリー(1871−1945)の芸術哲学を論じている。著者によれば、ヴァレリーは、詩を読者に行為をうながす「装置」であるととらえ、その詩の目的は私たちの「身体的な諸機能を開拓すること」にあると考えたという。だが、それらはいったいどのような意味であったのだろうか。

 
本書の議論を踏まえてあらかじめ暫定的な見通しを与えると、ヴァレリーにとって、個々の人間は感覚や思考などさまざまな力の潜在する場であり、それらの力は世界との出会いによって現実的なものとなる、そのようなはたらきが生じるところの存在者であると考えられていた。そして、彼が理想とする「詩」とは、この身体に潜在する力、あるいはそのような身体を有する主体としての私たちに作用することで、人を現実的な行為へとみちびく自律的な媒体であったのである。

 
この著作は「作品」「時間」「身体」という副題をもった三部から構成され、各部が二・三の章に別れている。以下では、まず各章の内容を簡単に要約し、その後に全体を俯瞰するまとめをあらためて付すことにしたい。




 
第一部は、本書の約半分の分量を占める。その第一章「装置としての作品」では、ヴァレリーが提唱したとされる「純粋詩」の意味が説明される。ヴァレリーは若くしてデビューしたあと、1900年頃から沈黙期に入り、ふたたび1917年に長編詩『若きパルク』をもって公けの舞台へと復帰した。そこからはアカデミー・フランセーズ会員への選出、さらにコレージュ・ド・フランス教授への任命などを経ることで、「フランスを代表する知識人」としての立場を確立することになった。「純粋詩」は、詩人として復帰したあとの彼が、自作であるか他作であるかを問わず、詩の理念を語るために用いた言葉である。

 
「純粋詩」とは、端的には、散文的要素を排した詩のことである。だが、そのような詩があらかじめ自然に存在するわけではない。ゆえに純粋詩という理念は、散文的なものを取りのぞくことによって詩的なものを純化しようとする「探求の方法」の名であると伊藤は論じる(35頁、なお以下では文庫版の頁数のみを記す)。ただし、芸術の領域において純粋なものを志向する試みは、ヴァレリーにのみ見られた傾向ではない。伊藤も言及するように、その点で一般的に有名なのは、美術批評家のクレメント・グリーンバーグが論じたモダニズム絵画の伝統であろう。特にエドゥアール・マネ以降の近代の画家は、絵画という「媒体」の固有性を積極的に引きうけ、他の媒体から借りられた要素を除去しようとしたと解釈される。その運動においては、絵画という媒体を構成する「平面性」などの条件そのものが、画家が自覚的に取りくむべき芸術的な課題となっていた。

 
媒体の固有性に自覚的であろうとする点で、ヴァレリーの立場も上記のモダニズムの運動の渦中にあったことはたしかだと思われる。だが、伊藤が指摘するように、彼は単に詩を散文から区別したのではなく、ジャンルを超えた普遍的な性質として「詩的なもの」を構想しようとしていたのである(40)。とすると、より問われるべきなのは、彼にとって「詩的なもの」とはどのようなものであったのかという論点になるだろう。

 
ヴァレリーが詩的なものの本質を考察するうえで、そこから第一に退けられるべき要素と考えたのは散文的な「描写」であった。なぜなら、それは「現実のイリュージョン」あるいは「真実らしい力」を作り出すものでしかないからである(44)。ただし、伊藤によれば、このような描写の真正さが問題となるのは、「作者だけが知っている何らかの内容を作者が読者に伝える」という「伝達」の構図が、テクスト理解の大きな前提となっているからだという(60)。実際、詩が作者の感情や思想を「伝達」するものだと見なす立場を、ヴァレリー自身が批判していた。

 
では、詩が作者から読者への思想の「伝達」ではないとすれば、いったいどのような関係を詩は作者と読者とのあいだにとりもつことになるのだろうか。ヴァレリーは、作者と読者との関係を、作品によって媒介されるとともに、同時に切断もされている「生産者」と「消費者」との関係として表現した(63-64)。読者は、作者の思想を単に受けとるのではない。作者は作品を作りだすが、読者はその作品自体と向き合い、その詩の価値の作り手ともなる。だが、それは単に作品がさまざまな解釈に開かれているということではない。ヴァレリーによれば、読者の活動とは、意味の「解釈」ではなく、読者自身の「行為」なのだという(66)。

 
では、ヴァレリーが読者の「行為」と考えたものとは何か。そこで重要になるのが詩とは「装置」であるという彼の考えである(68)。詩は「装置」として読者に作用する。より具体的に言えば、装置としての詩は、読者の身体において展開される諸能力を「開拓し、組織し、組み立て」るというのだ(72)。ゆえに、詩を読むことで読者がおこなう「行為」とは単に能動的な行為を指すわけではない。伊藤が述べるように、私たち自身の「目には見えないが身体の能力にかかわるような行為、それが純粋な詩の促す行為」なのである(74)。これらのことをふまえて、伊藤は次のように述べる。

ヴァレリーにとって詩=作品は、読者を「行為」させ、身体的諸機能を開拓するという「大きな目的」を持った「装置」であった(76)。

 であるとすれば、ヴァレリーにとって詩あるいは詩作は、その本質として人間の身体の機能と密接にかかわるものとなる。このことが、伊藤によって詩と身体とが関連づけて分析される根本的な理由なのである。

 
つづけて第一部第二章「装置を作る」では、「読者を行為させる」という「装置としての詩」の意味があらためて論じられる。伊藤は、この章で、「単語」(代名詞や動詞のはたらき)」、「修辞」(倒置や脚韻など)、そして「語りのモード」(登場人物の扱い)の三つのレベルから分析を行っている。

 
まず「語りのモード」、すなわち登場人物の扱いの点で注目されるのは、ヴァレリーのラシーヌへの傾倒である(79)。特に復帰作となった『若きパルク』の執筆の際に、彼は大きな影響をラシーヌから受けたという。ヴァレリー自身が認めるように、ラシーヌの作品は物語としては「平板」であり、登場人物も「単純」な印象を与える。だが、ヴァレリーによれば、ラシーヌの作品からは駒のような登場人物の「関係」と、そしてそのような関係をもたらす「操作」を読みとるべきなのだという(86)。その点でラシーヌ作品は、チェスにもたとえられる。

 
ラシーヌ作品において人物の関係が変化するのは、それら人物の発言(ディスクール)によってである。伊藤によれば、「ヴァレリーにとって古典主義悲劇とは、関係を取り出すために現実を丸ごとディスクールに変換した結果」に他ならなかった(90)。古典主義演劇は、現実を「描写」するのではない。そうではなく、ディスクールの形で「現実を平行に置き換える」ものだという(91)。ラシーヌからの影響は、ヴァレリーの作品において神話上の人物が登場人物である場合が多い理由も説明する。『若きパルク』でもパルクの属性の記述はない。ただし、この作品では神話的な人物として属性の描写はないが、苦痛や恐れなど内的な経験については語られるという。伊藤は、ヴァレリーが神話的な形象を用いることで、詩が「伝達」に陥ることを「迂回」させたのではないかと主張する(100)。

 
次に「単語」のレベル、すなわち代名詞や動詞のはたらきが分析される。伊藤が指摘するように、ヴァレリーは人間の言語的コミュニケーションの起源を「身振り」と、その「模倣」に求めていた(108)。この点が把握されることで、ヴァレリーの詩作において代名詞と動詞が果たしている役割も的確に理解される。彼によれば「動詞」は、文の中心であるが、それ自体は主体を欠いているため、自身が成立するのに必要な主語を要求するものである。この動詞における主体の欠落とそれに対する要求こそが、コミュニケーションにおいて話者同士を模倣関係によって媒介するのだという(111)。

つまり、ヴァレリーにとって言語を理解するとは、その中心である動詞を介して、動詞の命令に応じるようにして、他者の行為=身振りを模倣し、他者と同化することなのである。(112

 ヴァレリーの詩において、神話的な形象の発言によって形象自体の関係は変化する。その文の中心にあるのは動詞である。ただし、その動詞の主語がかかわるのは、作品内の登場人物だけではない。伊藤によれば「特定の代名詞を慎重に配置」することで、この作品内の動作は読み手自身の身体を喚起するものとなる(120)。そして、その動作が読者自身の身振りとして模倣されることによって、作品は読者に行為を促すものとなるというのだ。

 
伊藤は、ここまで紹介した「語りのモード」「単語」に加えて、ここでは詳細は省くが、倒置や脚韻などの「修辞」も分析する。そして、これらを踏まえて、第二章の残り(129-144)では、「装置としての詩」の作成が総体としてどのような営みなのかが論じられる。

 
ヴァレリーは、定型にしたがって詩作をおこなった。その点で、彼は自ら認めるように「古典主義」の詩人であった(130)。詩作においては、すでに規則が存在するかぎりで、先ほども登場した比喩をあらためて用いれば、チェスをプレイすることに似ていた。そして、その都度の条件にしたがって詩を作ることは、ヴァレリーにとって、単に作者が「言いたいことを言う」ことでは全くなく、ある条件が課す「問い」に対して、それに応じる言葉を「回答」する一連の過程のことなのだ。伊藤は、「わたしはもはやわたしの言いたいことが言えない」というヴァレリーの言葉を、単に彼の自意識の問題としてではなく、このような問いと回答の「ゲーム」という詩作のシステムの観点からこそ理解されなければならないと説く(136)。

 
詩が「私の言いたいこと」ではないとするならば、作者が生み出すのは、ある条件が課す「問い」に応える過程で「偶然」に思い付いたものでしかないことになる(138)。詩作が自分の思考から、すなわち自我から離れ、そしてその創作が「偶然」に委ねられる点で、ヴァレリーはマラルメを自身の詩作の先達としてあげる。ヴァレリーにとって、自我はそこから表現が取り出されるような源泉ではない。それは問いと応答を繰りかえす反射板のようなものなのである(141)。読者が詩によって行為を促されると同時に、作者自身も詩の条件の課す問いと回答との応酬のなかで行為を促されている。ゆえに、ヴァレリー自身が述べたように「詩を作ること」こそが「詩」であったのである(142)。

 
ここまで見たように、ヴァレリーにとって、詩は作者の思想や感情の表現ではない。作品はあくまで条件の問答のなかで偶然的に生み出されたものでしかない。そしてその生み出された詩は、読者に身体的に行為を促す「装置」となる。そうであれば、既に指摘したように、詩を作る、そしてそれを読むという行為は、私たちがどのような身体として存在しているのかという論点とも結びついているのである。その身体の問題が、第二部と第三部で語られるのであり、第二部は、「刻々と変化する身体と世界の関係」としての「時間の問題」が、身体自体の問題に先立って、論じられることになる(143-144)。




 
第二部・第一章「形式としての「現在」」においては、ヴァレリーの時間論が素描される。彼は空間的な時間把握を批判する(148)。伊藤によれば、彼にとって論じられる時間とは、「認識される限りでの時間のあり方」であるという(151)。ヴァレリーにとって認識される時間とは「現在」でしかなかった。そして彼はこの「現在」を「形式」とも呼ぶ。このような時間理解に、伊藤は時間(と空間)を感覚的認識、すなわち「直観」が成立するさいの認識主観の形式だと考えた哲学者カントの影響が見られるという(152)。実際、ヴァレリーにとっても、現在という形式で認識される時間とは、私たち自身の能力に他ならなかったのである。

 
時間が主観の形式であるとすれば、ヴァレリーにとって問題となる時間とは、私たち自身の能力によって「構造化」された時間を意味することになる(153)。とはいえ、どのように時間は形式的に構造化されているのだろうか。そこで伊藤が注意を促すのは、ヴァレリーが言及する「予期」という感覚の方向づけである(153)。

 
予期とは、過去を手がかりに未来に起こりうる出来事を想定することである。ただし、ヴァレリーにとってそれが重視されるのは、予期がそれに対応した私たちの身体の秩序、彼の言葉を用いれば「構築物」の存在を伴うものだからだという(154)。自身の身体がいかなる秩序を有しているのか、それは普段は意識されない。だが、予期されていることと異なることと出会うとき、その「構築物」のあり方が露わになる。不意の出来事の到来によって、主体と世界とのあいだに「ずれ」が生じ、主体は「遅れ」ることになるからである。

 
このようにヴァレリーの時間論は、現在という形式で時間を知覚する人間の能力と、現在において構造化されている主体の身体的なあり方を問題としているのである(158)。この予期においてはたらいている身体的な秩序を、ヴァレリーは「配置(秩序・準備)」を意味する “disposition” の名で呼んだ(161)。すでに述べたように、彼にとって時間は「現在」という形式によって知覚されるものであった。そして、その形式は私たち自身の感性の能力に他ならなかった。その感覚的能力は身体的な配置によって、「現在」においてその状態を決定されているものだと考えられているのである。

 
現在においてはたらいている予期の各瞬間には、感性を含む身体は現実化しうる配置についている。だが、それは逆に言えば、私たちの能力は常にすべてが準備されているわけではないことも示唆している。私たちの時間経験は常に予期と共にあるが、世界と予期とが一致する場合と、ずれが生じる場合の二つが存在するのである。ここでは詳細は省くが、ズレが生じる場合は「持続」として、そして一致の例を「リズム」として、それぞれ第二部の第二章、第三章で主題化されることになる。

 
だが、なぜこのような時間経験のあり方が、ヴァレリーの詩、あるいは芸術哲学を語る場合に問題となるのか。それは、彼にとって、読者が対峙することになる詩とは、もう一つの「世界」として読者が遭遇するものだからである(202)。世界と対峙する時、ひとはある秩序をともなう身体をもって応じるように、純粋な詩を読むときにも、人は一つの現実としてそれに対峙するのであり、その結果その人の身体的布置は別の形へと変容するのである。そのような変化こそが、装置としての詩が、私たちの身体のうえで発生させる「行為」なのである。




 
では、第三部に移ろう。ここまでの議論で明らかになったように、純粋な詩は私たちを行為へと促す装置であり、詩と対峙するということは人の世界経験を代替するものでもあった。第三部が問うのは、その経験をになう主体、世界と遭遇することで行為へと促される、私たちの身体とはどのような本性をもつのかという論点である。言うまでもなく、伊藤が主題とする「身体」とは精神や思考と対立する概念ではない。ヴァレリーにとって、精神的なはたらきも、歩くことや食べることのような活動と同等のものであり、それらは等しく人間の「能力」にもとづいていた(208)。後段で明らかになるように、詩的な言語が私たちにはたらきをもたらすと想定されるのも、それは私たちの存在そのものが、現実によって潜在的な力が引き出される様々な能力の場であるからに他ならないのだ。

 
この身体の構造を明らかにするために、第三部第一章「《主観的》な感覚」でまず論じられるのは、「補色」という視覚的な現象である。補色とは、たとえば鮮烈な青色の紙を見たあとに、白い紙に目をうつすと青の補色である黄色が白い紙のうえに浮かびあがる現象のことである。この現象は、伊藤によれば、ヴァレリーにとって芸術という観念の根本にかかわるものであったという(212)。とはいえ、それはなぜだろうか。

 
一般に、受けとられた視覚的情報は、別の非感覚的な観念や行為へとつながっていくと考えられている。たとえば、伊藤が例示するように、眼前の一面の「青」を見た時、私たちはそれを「海」という観念で理解するはずだ。ヴァレリーは、そのような視覚のあり方を「有用」な感覚と呼んだ。それに対して、補色はいかなる観念にも結びつかない「無用」な感覚である。

 
もちろん、ヴァレリーは単に無用さを称揚しているのではない。彼が補色を重視するのは、その現象において、感覚が非感覚的なものへと移り変わらず、感覚のうちでそれ自体の「美的事物の秩序」が出現していると彼が考えたからである(220)。重要なことは、この補色で認められる感覚自体の自律的ありかたが、「純粋詩」として理念化された詩的言語のあり方と重なることである。言葉が、意味の伝達とは異なる力を備えていることが、補色という「無用」な生理学的現象によって基礎付けられているのである。ゆえに、伊藤は、ヴァレリーにとって「詩を含む芸術作品一般が、人間の生理的な必然と分かち難く結びついて」いるものだったと指摘する(222)。ヴァレリー自身、「芸術の問題の本質」は「感覚的事物のシステムを組織すること」であると称している(223)。

 
補色の例は、感覚が、より高次の精神へと観念をもたらす単なる通過点として存在するのではなく、それ自体の秩序やはたらきを有することを示している。つまり、補色においては、感覚器官がそれ自身を感じることになるのである。伊藤は、したがって「「透明」と思われている私たちの身体的諸器官が、実は「不透明」であること」への気づきをヴァレリーが促していると書く(234)。

 
最終章となる第三部第二章「生理学」では、さらに身体的な諸力にたいするヴァレリーの生理学的な考察が紹介される。彼は人間の活動全般を「要求−応答(demande-réponse)」の図式で理解していた(237)。その図式によれば、人間の活動は、何らかの状況による「要求」があって、それに即座に「応答」が反射的になされることで成立している。ただし、伊藤が注意を促すように、このモデルは、ヴァレリーにとって、単なる生理的な現象のモデルではなく、思考やさらには芸術一般の議論の理論的な基礎としても活用されるのである。

 
とはいえ、生理的反射であるならば、「要求」ではなく、「刺激」といった表現の方が適切であるように思われる。実際、ヴァレリー自身が「刺激」や「挑発」といった言葉も用いていたようだ(239)。だが、伊藤によれば、「要求」という言葉が採用されたのは、身体の外界からの作用ではなく、むしろ「生体の内部で起こった変化」に焦点が当てられているからだという(240)。身体に「要求」をもたらすものは、その身体の内部に存在するものであっても良いのだ。そのような身体内での「要求−応答」の事例が、たとえば「思考」である。ある観念が別の観念の登場を要求することで、応答したその観念はまた別の観念を要求する。そのようにして思考は続いていくというのである。

 
身体的な活動を、「要求−応答」の連鎖として見るとき、ヴァレリーにとって私たちの能力、あるいは私たちの主体性や能動性は、あくまで受動性からの転換として考えられることになる。そのようにして身体的諸力とそのはたらきが考えられるとき、彼が持ちだすのが「錯綜体」というアイディアに他ならない(242)。先程の補色にしろ、感覚器官は私たちの意識のコントロールの下に常に置かれているわけではない。補色のような現象は、外界からの作用によって、私たちのもとに潜在していた機能がそれ固有のはたらきを引き出されることを表している。そのような機能の束として私たちの身体をとらえることで、ヴァレリーは錯綜体という概念を「何らかの状況が私たちから引き出しうるものの全体」と定義した(242)。

 
ヴァレリーは、また錯綜体を「わたしたちのうちにある潜在的なものの総体」とも呼ぶ(251)。ひとは予期にしたがって、身体をある態勢として準備し、世界の出会い方を決定する存在者である。だが、この錯綜体という概念が用いられるのは、伊藤が指摘するように、「いかに思いもよらない可能性が、私たち自身のうちに隠れているのか」という点を強調するためであった(252)。この錯綜体という概念によって、人間という存在者の他動性と偶然性が注視されているのである。

 
意識のもとに潜在しているという点で、この錯綜体という考えは、フロイトの「無意識」と似ているように感じられるかもしれない。だが、ヴァレリー自身、その二つは全く別のものだと考えていた(255)。フロイトの「無意識」は、意識という活動の背後で、よりリアルなかたちで実在している別の活動である。それに対して、錯綜体はあくまで潜在的な能力であり、それはある状況からの要求によって現実化するように仕向けられるものなのである。ヴァレリーが理念化する「純粋詩」というものは、そのような錯綜体として存在する人間に行為を促す「装置」なのである。ゆえに、伊藤は「詩は、私たちが、他動性・偶然性と出会うことを通じて自己についての知を深めていく、その行為に他ならない」と述べる(259)。

 
以上、部分的に不完全ではあるが、本書の各章の内容を簡単にまとめてきた。この著作のなかで、伊藤はヴァレリーの思想と共振するかたちで、詩的な言語とはなにか、そしてそれによってはたらきかけられる私たち人間とはそもそもどのような存在者なのかをめぐって、大変魅力的な議論を提示している。言葉は、それを聞きとった者が、その意味や観念を意識のなかで想像するだけの透明な媒体ではない。詩的な言語は、現実そのものをディスクールの形で提示する自律的な秩序である。その詩的言語に遭遇することで、その都度、私たち自身に潜在した能力は現実的な行為へと導かれるのである。韻律にもとづく詩作は、作者が表現したいことを表現する行為ではまったくない。作者は、規則が「問う」ものに、偶然的に「答える」ことで詩を生み出す。その点で、詩は作者にとっても、意識外から到来した他者として現れることになる。そして、それを受け取る読者も、その作品のうちに作者の自意識や描写された真実らしい情景を見出すのではなく、偶然的な出来事に遭遇したかのように、その都度の予期のもとで自身の潜在的な能力をもって応じることになるだろう。もちろん、私たちの各主体に内在する諸力は、自意識によってコントロールされているものではない。私たちの身体的な機能も、精神的な意味へと情報を受けつたえる透明な媒体ではなく、不透明な実体として存在しているのである。




 
では、伊藤がヴァレリーをもって語ったことを、私自身が専門とする哲学の歴史に置きかえた場合、どのようなパラフレーズが可能なのだろうか。その点に触れることで、この書評を終えることにしたい。ヴァレリーそのものについての私の理解は乏しいが、この著作で示されている詩的言葉と身体との結びつきにかんする考えは、西欧の思想史において、一つの精神的古層に位置するものであるように思われる。その点でとりわけ想起されるのは古代のキリスト教神学者アウグスティヌスである。

 
アウグスティヌスは、パウロのローマ書にもとづいて「私は自分の行なっていることがわからない。なぜなら、私は自分の欲することを行わず、かえって自分の憎むことを行なっているからである」と綴った。彼は「自由意志」という概念を西欧の精神史のなかへと導きいれた人物として知られるが、彼の書物に目を落とせばすぐに明らかとなるように、彼の注視の先にあったのは、自身の意志によってコントロールされている能動的な行為ではなく、むしろ自身の抗えない情欲などの「肉」によってもたらされる不本意な現実と、そこからの救済であった。伊藤が本書第三部の末尾で引用するように、ヴァレリーは「成功していたら行為の中で存在しないままにされていたであろうさまざまな錯綜体を燃え上がらせる」のは「抵抗」「失敗」「我慢できなさ」であると述べた(264)。アウグスティヌスが人間の情欲を執拗に論じたのも、ヴァレリーが「錯綜体」と呼ぶ人間の身体及びそこに宿る諸力を注視しようとしたことと重なるように思われる。

 
そして、アウグスティヌスにとっても、自身の錯綜体を行為へとむかわせる「詩的言語」が存在した。もちろん、それは聖書に他ならないが、問題となるのは聖書が彼にとってどのようなテクストであったのかという点だ。彼自身、聖書の粗雑な文言に一時期軽蔑の視線を向けたことを『告白』のなかで記している。だが、ミラノで司教のアンブロシウスに出会うことで、聖書の言葉の解釈に彼は再度向き合うことになった。そして書かれたのは『キリスト教の教え』という聖書解釈の規則を示した著作であった。もちろん、聖書とモダニズムの詩では、そこに立ち現れている意匠は大きく異なる。だが、アウグスティヌスにとっても、言語の単なる字義的な意味ではなく、私たちの身体に直接はたらきかける言葉、そしてそれがもつ力こそが重視されたのである。その点でアウグスティヌスの聖書解釈も、まさにヴァレリー的な意味で詩的言語の解読であったと考えることができるだろう。

 
さらに、ヴァレリーが「配置」として頻繁に言及した “disposition” とは、神的な摂理とも密接な関係があるギリシア語の「オイコノミア」のラテン語訳でもある。それは中世のキリスト教神学の伝統の中で、世界の布置と人間の情念の布置とが重なりあう地点を読み解くために汎用される言葉となった。当然、キリスト教神学において、その「配置=布置」の先にある「大きな目的」は神であった。とすれば、ヴァレリーが身体の配置を問題とするとき、近代における「神の不在」のなかで、失われた神的な配置を世俗的に取りもどす試みとして、彼の詩学があったと表現できるのではないか。このように推論すると、伊藤のヴァレリー論は、西欧の精神的古層の持続と、そして神なき時代において、それがいかに変奏されているのかについても教えてくれているように思われるのだ。