実験工房の領域横断性──舞台照明家、演出家との接点から

伊澤 文彦

 実験工房とは、1950年代に日本で誕生した前衛芸術家集団である。近年までグループとしてのまとまった調査や評価が行われることはなかったし、主な活動期間も1951年から57年とごく短いものであった。実験工房は、1960年代後半から、ある種時代の言葉として流行し*1、「インターメディア」という言葉で括られる、複合的なメディアを用いた表現形式を50年代初頭から実践していた存在であり、日本におけるメディア・アートの先駆けなどと言われることもある。しかし、私は、敗戦後間もない時期に、異なるジャンルの青年達が様々な表現形式を用いて緩やかに協働していくための集団であったという事実こそが重要だと考えている

 
前衛的な芸術表現を志向する芸術家達が作り上げる〈集団〉は、美術史の文脈の中においては、コンセプチュアルなイメージを持つ人が多いかもしれない。しかし、この〈集団〉は実に緩やかで捉え所がない集団であった。同時代に活動を開始した具体美術協会のように、発表場所もリーダーも機関紙も特定の発表場所も存在し得なかった。彼らは、「アヴァンギャルド芸術研究会」や「モダンアート夏期講習会」といった現代芸術に関する集会やグループ、あるいはGHQが設立した「CIEライブラリー」のような場所を通して交流した。実験工房は、芸術を通した純粋な交友関係によって繋げられた青年達がただひたすら集まり、青春の只中を突き進みながら交流する事によって自然発生的に生じた居場所であった。本稿では、領域横断的に様々なジャンルとのコラボレーションを行ってきた実験工房の活動に関して、主要な表現の場であった舞台芸術との接点から、活動の一端を報告するものである。

 
実験工房のグループとしての本質は、ジャンルを横断することによって活動が拡大していくことにある。メンバーは、個々が作品を発表するのではなく、異なる分野で活動を行う者同士が協働して活動を行うことに意義を見出していた。グループの名付け親である瀧口修造は、造形的な要素を「ステージのような立体的なプリゼンテーションとして扱えることがこの工房の特色である」と述べると同時にメンバーに照明の技術家がいるということをその根拠として示している*2。工房のメンバーは音楽家、美術家、写真家、舞台照明家、詩人、エンジニア等14人で構成されており、それぞれが個人的な交友関係を通して度々集い、芸術への思いを共有していった。瀧口が言うように、「ステージのような立体的なプリゼンテーション」として表現する際に必要だったのが舞台照明家ということになる。実験工房の作品では、1955年に発表された「オートスライド」を用いた作品がしばしば注目され、音楽と美術を工学的な技術によって結びつけるという点において日本における先駆的な試みを行ったと考えられている。しかし、単にアート・アンド・テクノロジーの動向の一つとしてグループの活動を位置付けるのは時期尚早だ。実験工房という存在を捉えるためには、メンバーの最初の発表機会がバレエとのコラボレーション作品『生きる悦び』(1951)であり、それ以後の活動の多くが、舞台上での作品発表に依拠しているというという事実に注目することが重要である。実験工房のメンバーであり、全ての公演で舞台照明を担当した今井直次は、グループ内で行った照明の仕事について「展覧会や発表の会場自体をひとつの作品として演出する感じ」であったと証言している*3。「会場自体をひとつの作品として」という言葉は、グループのジャンル自体を融解させ、インターメディア的統合を志向する意識を表しているが、今井は舞台という枠組みの中で、照明によって音楽と美術を統合しようとする役割を担っていたと考えることができるかもしれない。実験工房の上演記録はモノクロのものが実際の上演を映像で確認することもできないため、今井がどのような演出を照明によって実現しようとしたのかを確認することは困難である。

 
現在では僅かな言説によってその様子を窺い知ることができるのみであるが、今井は舞台美術としての造形作品が照明との関係性によって織りなす影に関心が高かったようである。実際、「現代作品演奏会」においては北代省三の《スペース・モデュレーター》(1952)に対しての照明では強い色彩を排して殆ど自然光に近い軟らかな強弱で表現し*4、上演の記録写真を見ても、白い和紙が張られた作品を透過した影がピアノの影と対をなす形で、舞台後方の幕に美しくあらわれていることがわかる。写真からでは判別できないが、カラーフィルターのない時代にゼラチンペーパーを用い、「影に色をつけること」に対しても今井は大きな関心を持っていた*5。こうした、光によって色彩を空間に展開するということはメンバーの山口勝弘も後年の作品で試みているし、光が生じさせる影や色彩によって空間を演出することに関しては、山口勝弘が影響を受けたモホイ=ナジや、フレデリック・キースラーの作品にも適用されている。インターメディア的な表現形式の中に光学的な技術から生み出される諸要素を作品化する形式は、1960年代から多様化するが、前衛芸術家が集った実験工房において目指された表現形式を実現するために照明家がメンバーとして加わっていたことは重要な事実であり、今後、山口が制作した光学的な技術を用いた芸術作品と舞台芸術の関係性についても考察する必要があるだろう。また、今井は実験工房での活動と並行して帝劇、日劇、東宝などをはじめとした全国各地の舞台公演に参加している。特に宝塚歌劇団では500本以上の作品で照明デザインを手がけるなど実験的な試みを重ね、演劇方面において舞台照明家の第一人者として今日的に高い評価を得た一方で、大阪万博でも実験工房のメンバーと仕事を共にし、お祭り広場の企画にも携わるなど現代芸術の領域で多くの作家達と協働しながら領域横断的に活動し続けた人物でもあった。

 
また、今井直次と生涯に渡って長く仕事を共にし、アルベール・ジロー原作の『月に憑かれたピエロ』を演出した、武智鉄二との関係も重要である。武智は1949年頃から大阪文楽座を拠点にはじめた「武智歌舞伎」によって演出家として知られた人物である。能や狂言などの伝統演劇の要素を実験的に演劇に取り入れ、多くの前衛芸術家達と交流を持った。1955年に「円形劇場形式による創作劇の夕」の中で上演された『月に憑かれたピエロ』はシェーンベルクの室内楽作品を仮面劇の形式で上演したものであり、前年の「シェーンベルク作品演奏会」において行われた楽曲としての《月に憑かれたピエロ》の上演を受けて行われた。ちなみに、「円形劇場形式による創作劇の夕」では、三島由紀夫作の現代能『綾の鼓』も上演されている。この公演には、メンバーの湯浅譲二が音楽で参加している。『月に憑かれたピエロ』への出演者は、野村万作(ピエロ)、浜田洋子(コロンビーヌ)、観世寿夫(アルルカン)であった。コメディア・デラルテをベースとした仮面劇として作られたこの公演には訳詩を実験工房の秋山邦晴、装置と仮面を北代省三、衣装を福島秀子、照明を今井直次が担当している。役者の動きや演出については不明な点が多いが、能役者を演技者として迎え、装置や小道具、衣装の転換が舞台上で黒子の手によって行われ*6、野村万作が「飛安座」を行うなど、能の型が生かされていたようである*7武智の作品はこの作品を契機として前衛性を強めていき、実験工房のメンバーとの関わりも継続していく。日本舞踊の花柳寿々摂、寿々紫らと組んで武智が演出を行った『松風』の上演では、初演で北代省三が衣装と装置を、再演時には北代が装置、福島秀子が衣装を担当している。また、武智は1957年に木下順二の『夕鶴』を能様式によって手がけており、その公演においては北代が装置、今井が照明を担当している

 
実験工房は、50年代に演劇や舞踊、バレエといった舞台芸術との関係性によってジャンルを横断した仕事を行っており、数多くの交流関係を築いた。60年代以降も作家同士の交流から生まれたコラボレーションをメンバー達は数多く行ってはいるものの、徐々に個人作品の中で複数のメディアを融合させる中で新しい体験を生み出す実験を行っていくようになる。50年代を通して、様々な表現形式の中で培われた領域横断性が、各作家の作品にいかに反映されているかについては、実験工房の制作目的や、個々の作家の作品分析を通して改めて考えていきたいと思っている。また、舞台芸術における造形作品の役割に関しても、北代や今井の活動を今後調査する中で明らかにしていきたい。





*1 1960年代後半には、欧米圏でE.A.T.やグルッポTなどのグループによって行われたようなアート・アンド・テクノロジー的動向が盛んになると同時に、「インターメディア」(1967)、「インターメディア・アート・フェスティバル」(1969)、「クロストーク/インターメディア」(1969)などの「インターメディア」を掲げた展覧会やイヴェントが散見されるほか、『インターメディアとは何か』(美術手帖1969年4月)という特集が組まれていた。また、「空間から環境へ」(1966)、「色彩と空間」(1966)、といったような鑑賞者とのインタラクティブな関係性を一つの環境として構築して行くような展覧会の形式も見られた。

*2 瀧口修造「演奏会と造形 実験工房現代作品演奏会」『美術手帖』通巻61号、195210月、66

*3 今井直次、福島和夫、山口勝弘、湯浅譲二(聞き手 那須孝幸)「実験工房メンバーによる座談会」『実験工房展──戦後芸術を切り拓く』印象社、2013年、266

*4 瀧口修造、前掲書、66

*5 今井直次・福島和夫・山口勝弘・湯浅譲二(聞き手 那須孝幸)、前掲書、266

*6 山口勝弘「「月に憑かれたピエロ」上演をめぐって」『美術批評』通巻49号、19561月、10-12

*7 渡辺守章・野村万作・堂本正樹・中村雄二郎・白石加代子「現代演劇と能」、『幽玄──観世寿夫の世界』、リブロポート、1980年、172