contact GonzoYCAM バイオ・リサーチ
wow, see you in the next life. (The magazine) vol.13

吉田 キョウ

contact GonzoYCAM バイオ・リサーチ『wow, see you in the next life. (The magazine) vol.1山口情報芸術センター[YCAM] 、2020
contact GonzoYCAM バイオ・リサーチ『wow, see you in the next life. (The magazine) vol.2山口情報芸術センター[YCAM] 、2020
contact GonzoYCAM バイオ・リサーチ『wow, see you in the next life. (The magazine) vol.3山口情報芸術センター[YCAM] 、2020


雑誌とは「雑多な事が掲載されている定期刊行冊子」のことである*1。以前私は月刊誌や季刊誌の編集部で雑誌編集の仕事をしていた。在職中、かつて編集長を務めた方の話を聞く機会があり、そのときに耳にした言葉が記憶に残っている。「雑誌は『雑』を含んでいる。そこが雑誌と書籍の大きな違いではないか」という言葉だ。ひとりの著者による単行本が一貫した論旨によって研ぎ澄まされた純度の高い本だと仮定するならば、雑誌はひとつのタイトルを冠しつつもさまざまな人物による寄稿文や写真、マンガなどの「雑」の集積から成り立っている。テーマや特集が組まれていても、連載コーナーのコラムや小説などは特集の影響を受けないことも多い。そのような「雑」を許容し総べているのが、雑誌というメディアの特徴であり本質なのだと私はインタビューを録音しつつ納得したのだった。


本誌は2019年10月12日〜2020年1月19日に山口情報芸術センター[YCAM]で開催されたcontact Gonzo+YCAMバイオ・リサーチ「wow, see you in the next life./過去と未来、不確かな情報についての考察」*2に関連して制作された刊行物である。本誌企画のcontact Gonzo(コンタクトゴンゾ)は、肉体の衝突を起点とする独自の牧歌的崇高論を構築し、即興的なパフォーマンス作品や映像、写真作品の制作と並行して、マガジン編集を主な活動として行なっている。本誌も例に漏れずマガジン=雑誌の形式を則っており、展覧会開始2カ月前の8月9日にvol.1、会期半ばの11月15日にvol.2、終了前日の1月18日にvol.3が発行された。展覧会を担当したYCAMの吉﨑和彦と津田和俊のレポート、片野晃輔によるDNAに関する文章、イトウユウの「〈バイオ〉で読み解くマンガ」、伊藤隆之の「世界のバイオラボから」、手相占いのコーナーなどが収録されている。どれも奥深く、しかし雑誌ならではの気軽さで読めて興味深いが、特筆すべきは3号を通して連載されているコンタクトゴンゾの塚原悠也のSF小説「wow, see you in the next life.」だ。伝説的な人工知能ヌカムリ・ジャミポスがYCAM主任研究員イーチャムに2538年に行なったインタビューの3Dホログラムデータが2619年に発見されたという内容で、二人の対話から物語が構成されている。500年前にコンタクトゴンゾのプロジェクトによって作られ、当初は木の人形であったものの今では人間とさほど変わらない人造人間のヌカムリ・ジャミポスと、12年ごとに身体を崩壊させて次代に仕事とある程度の自己意識を引き継ぐイーチャム。もとの形をすでに失いつつも記録(記憶)を継承する二人の人物設定は、展覧会のテーマと大きく関係する。展覧会は「身体はどこから来て、どこへ行くのか」の問いを出発点に、身体に与えられた負荷は後天的な遺伝情報となって世代を超えて引き継がれうるのかという、身体と継承を扱ったインスタレーションとして発表された。


塚原のSF小説の設定や展覧会のテーマと、メディアとしての雑誌の目的は似ている。雑誌は逐次刊行物であるため、起きたばかりの出来事や、それにより変わりつつある状況などの現在性を定期的に取り込み、更新し、発行することができる。雑誌の形式が持ちうる真の目的は、時代が移ろい筆者や掲載内容が少しずつ変化したとしても、そうして揺れ動きつづけることで現在でのバランスを保ち、創刊時の意思を先天的に引き継いだDNAのように未来に継承するシステムにある。自分たち自身が生きているあいだに得た後天的な経験を次代に引き継ぐことができるかという検証をした展覧会の公式刊行物が、雑誌の形式をとっていることに必然性を覚える。


小池アイ子がデザインを担当した誌面は、リサーチや展覧会の風景やパフォーマンスを撮影した写真画像が互いのイメージを覆い隠すほど過剰に重ねられている。筆で書いたような太い明朝体のフォントを使い、さらにドロップシャドウで装飾されたタイトルの文字はノイズを作り出し、読者に一目で雑多な印象を与える。vol.1〜3まですべて判型が異なり、小さいものは文庫本サイズで手のひらに収まるので展覧会を観た帰りの新幹線のなかで手軽に読むことができたが、大きいものはA3サイズ、広げようとするとA2サイズの巨大さにもなる。これでは机の上がいっぱいになってしまうので、床に広げて地べたに座り下を向きながら読んだ。すべての号の各ページの隅にはパラパラマンガのように動く写真の仕掛けも施されている。視覚的なノイズや読書の姿勢を強いるエディトリアルデザインは、読者の身体に影響を及ぼす仕組みになっている。


進行する展覧会の現在性を取り込み、SF小説や専門性の高いDNAに関するレポートによって時空間を超えて拡張するように展覧会を展開させた本誌は、創刊時の意思を引き継ぎつつも発行するごとに内容を更新し、雑多な集積から総体をつくりだすという雑誌のシステムを有効活用している。集団であり、メンバーが流動するコンタクトゴンゾの主な活動にマガジンの編集が組み込まれているのも、ひとえに雑誌が持ちうる可能性に共鳴しているからにほかならないのではないだろうか。



*1 全国出版協会 出版科学研究所 コラム「『雑誌』の定義と出版統計」(2006/09/11)より https://www.ajpea.or.jp/column/data/20060911.html(参照:2020110日)
*2 https://www.ycam.jp/events/2019/wow-see-you-in-the-next-life/