環境と思考と感情の循環

難波 優輝

青田麻未環境を批評する──英米系環境美学の展開
春風社、2020
バーバラ・トヴェルスキー Mind in Motion──身体動作と空間が思考をつくる』(森北出版 、2020
カリンウォール=ヨルゲンセン メディアと感情の政治学
勁草書房 、2020
ヤン・プランパー 感情史の始まり』(みすず書房 、2020

私達を取り巻く環境について考えよう。私達はよりよい仕方で環境を変えることができるだろうか。その際の「よい」とは何だろうか。環境美学者青田麻未による『環境を批評する──英米系環境美学の展開』(春風社)は、これから環境美学に踏み入るひとのための手堅い地図であり「環境批評」から環境美学を切り取ったオリジナルな書物である。これまでの環境美学は確かに環境について真正な語りを求めてきた。だが青田が目指すのは、環境について語る私達の意志の解明だ。



「美的判断の規範性は対象と主体、主体と主体の絶えざるコミュニケーションのなかで生成していくものであり、さらには一度規範を獲得した美的判断がのちに問いに付されることも十分にありうる。我々は誰しもが個々の観点から環境へと迫り、それによって発見した環境像を互いに伝達し合う行為に従事する権利を可能性として持っている。我々環境批評形が公共性を思考するのは、環境という一人では絶対に捉え尽くすことのできないものの姿に、協同しつつ、迫るためなのである」



環境は人それぞれの好みでは終わらない。公共的だから。私達が互いの規範を交換しあいながら(それはきっと和気あいあいとではなくときには敵対的に)私達が住まう世界についてそれでも何らかのよき共有地を描けるかもしれない。



環境は私達に影響を与える。

より抽象的な空間と私達はどんな関係を結ぶのか。認知心理学の第一人者であるバーバラ・トヴェルスキーの『Mind in Motion:身体動作と空間が思考をつくる』(渡会圭子訳、諏訪正樹解説、森北出版)によれば、私達の思考は空間とその中で動く私達の身体動作を源泉としている。空間は思考の家なのだ。ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』について、



「底に描かれた人々の複雑な身体、目、手の相互作用をじっくり観察する。誰が誰に話しかけているのか、その人達はどのような関係か、何に注意を向けているのか、わかってくる。招待客たちが活発に交流している一方で、イエスが超然としているのを感じるだろう」



私達は無から思考しない。「私のことどれくらい好き?」という問いには、ジェスチャーをしながら愛の大きさを、澱んだ胸の打ち明ける際には胸の手を当てて、筆算、足し算、さらには抽象的な数的思考の際にもグラフや数字という記号が用いられる。芸術は様々な空間を現実化する。具象画は虚構的な空間を明確化し、抽象画は概念的な連関を解明し、展示室のインスタレーションアートは空間そのもののを分析する。それは思考と深い関わりを持つ。あるいはミケランジェロの『アダムの創造』の指先に、私達は思考をみるだろう。「思考は心からあふれると、心はそれを外の世界に移す」「私達は心の中にあるものを整理するように、まわりの世界にあるものを整理する」などの印象的な九つの認知の法則を知るたび、空間と思考の関係は研ぎ澄まされる。



環境が思考を作る。であれば、環境を作ることは思考を作ることだ。本棚を並び替えると、あるトピックが頭の中で配置し直される。模様替えをするとあなたの動き方が変わる。思考のみならずあなたの心的な働きは変化している。現実の環境がそうであるなら、より抽象的な環境、すなわちデジタルな環境も私達の思考をそのうちで特に感情を作り上げている。



環境と感情。メディア研究者カリン・ウォール=ヨルゲンセンの『メディアと感情の政治』(三谷文栄、山腰修三訳、勁草書房)はデジタルな環境と感情の相互作用を政治的活動に焦点を合わせ地道にしかし劇的に分析する。SNSは感情のアーキテクチャである。「いいね」ボタンを実装するか、リプライ可能にするか、Facebookのように絵文字での反応を用意するか、「バッド」ボタンを実装しないか。政治は怒りによって駆動され、SNSは政治活動と結びつき、感情をエンジンとしてますますユーザーを惹きつけ、ユーザー同士の感情の相互作用をデザインし、広告収入を増やす。そこでは冷静、温和、などの他の感情の回路は別の形を取るか切断される。デジタルな環境が私達の思考と感情を抑圧し煽り立てる。



デジタルな環境美学が可能だろうか。それは現在の病禍により空間を使用できなくなった現在、表現が引き受けるべき課題の一つとなる。



そのためには、感情の来歴を考えることが重要になる。感情はどんな歴史を経てきたのだろうか。歴史学者ヤン・プランパーの 『感情史の始まり』(森田直子監訳、小野寺拓也、平山昇、辻英史、山根徹也、西山暁義訳、みすず書房)は感情をめぐる人類学をはじめとする社会構築主義的なアプローチと生命科学を代表とする普遍主義的なアプローチのそれぞれの議論、特に後者の人文学者による安易な神経科学の利用への批判を行う。



最終的に、感情はコミュニケーション行為となると言われる。感情のバリエーションとは私達の社会の中で可能な行為のバリエーションなのだ。「人は感情を「もっている」のではない。むしろ、それは試みるものであり、感情は行われるものなのである」。感情を行うことで、私達は社会的営みを調整し、罰し、称賛し、愛し、育て、律し、何より表現する。感情を用いる芸術表現は、感情を用いる私達の抽象的なモデルなのだ。



私達は環境を作る。環境は私達の感情と思考を作る。私達は感情と思考を環境を使って行う。私達の感情と思考は環境を作る。循環。あなたが文章を書くとき、あなたが作品を作るとき、あなたは環境を使用し形成している。あなたは世界を作り始める。