乾敏郎+阪口豊脳の大統一理論──自由エネルギー原理とはなにか

伊阪 柊

乾敏郎+阪口豊脳の大統一理論──自由エネルギー原理とはなにか』(岩波科学ライブラリー 、2020

これは岩波科学ライブラリに属する入門書としてあり、ここ10年ほどで様々な論文が発表されたり、様々な場所で話題になってきた理論の、改めての紹介と普及が目的にある。実際にこの理論に似たような仕組みを持ったAIによるニューラルネットワークがすでに普及している。2021年1月初旬には、OpenAIがDALL・Eと呼ばれるテキストから画像を生成する新たなアプリケーションを発表したが、そこでもZero shot predictionと呼ばれる、これまでに見たことのない対象物に対し、これまでに蓄積していたデータから推測して、対象物がこれまでの知識体系の中のどのあたりのものなのかを決定する予測アルゴリズムが使用されている。初期のAIが、画像を読み取るのに逐一画像の部分的な特徴を集めて統合してその画像が何かを予測していたが、あまりうまくいっていなかったのに対し、近年は予め経験から得ているデータを用いて一度仮想のデータを生成し、それを対象の特徴と照合することで、仮想データと対象のデータの間の誤差を取得し、その誤差を埋めていくようにして何度かそのサイクルを繰り返すという方式が採られていると言う。そしてこのモデルを実際の人間の脳に想定していたのが神経科学者のカール・フリストンらであり、それを説明するのが自由エネルギー原理である。



推論にはそもそも二つの確率を用いる。まず出くわした対象がどんな性質を持ったものであるかという事前確率がある。これはその人たちそれぞれの経験に基づいて設定されている確率であり、ある人にとっては非常に危険だが、ある人にとっては普通というような文脈的に相対的な振れ幅があるものである。そして二つ目はその対象が知覚器官によって捉えられた時に、どれほどその情報が捉えられているかの確率である。これを事後確率としている。自由エネルギー原理はこの二つの確率の分布の振れ幅を小さくしていくことで、曖昧さをなくしていく。


例えばこの誤差を埋めるという表現を実際にどう計算し実行しているのかを説明する際に、そこで生じる得る不確実性(ダイバージェンス+ノイズ)を最小にするという考え方が基礎に据えられている。この自由エネルギー(不確実性)を最小にするために、脳は画像の諸特徴を逐一読み取っていくのではなく、積極的に推論し、それを検証するサイクルのプロセスを実行するという考え方であり、これを能動的推論と呼んでいる。



視覚を得る場合を例に採ると、外環境の空間をうまく把握するために、眼球を動かしたり、頭や手足を動かしたりすることで、視覚の差異を自ら作り出そうとするが、ここではその身体的な行動を起こす前の段階で、脳は能動的に仮想的なデータを用意し、その信号を身体に伝達する。つまり未来で得るであろう感覚を現在の身体に送るという考え方となる。そしてその未来の信号を受け取った眼球や筋細胞の行為によって、新たな環境の側面についての情報を入力し、誤差が大きい場合、予測信号を作り出すそもそもの信念を更新するという繰り返しのプロセスを、およそ0.001秒の時間スケールで実行する。この誤差が大きい場合をシャノンサプライズと呼んでおり、これまでの経験から敷いた確率分布を裏切るような出来事や対象の性質によってもたらされる。しかしそのような未知の振る舞いをする外環境の対象に対しても、実際に触れてみたり、回り込んでみた場合について予測する信号を身体に伝達し、その隠れた状態と、実行した成果との間に生成された脳内のモデルが、実際の環境にどれほど一致(随伴)しているかどうかで、その不確実性を解消していけるような一連の行為を選択する。



このようにして、それ自体には決してアクセスできない隠された外環境の状態に対して、積極的に個々の予測を介入させていくことで外環境での行動の仕方の認識を可能にする。



自由エネルギー原理は、現象学的発想をエネルギーの経済に置き換えて説明することで、その他様々な事例に応用を試みている。外環境の知覚のみならず内環境、つまり内蔵感覚から情動や感情の発生についても適用が可能である。これまでに一つは耳にしたことがある脳科学、精神医学の用語が対象とする事象を、改めて敷衍しているところに脳の大統一論を謳う所以がある。そこでは期待感、好奇心、アブダクション、アフォーダンス、アハ体験、パブロフの条件付け、ミラーニューロン、睡眠中のシナプスの刈り込み(記憶の定着)、そして自己主体感などが逐一説明される。やはり入門書とだけあって間口が広く開け放たれていることからも豊かな眺望を得ることができる。



大量の情報が生成され、遭遇する潜在性に満ちた外環境において、その大量性へと能動的に介入し、ノイズを抽出して新たな信念のもと新たな推論を作り出し、対象に働きかける。

複雑なものを理解するには複雑なモデルが適しているが、明快に理解するには単純なモデルな方が良い。ただし単純な減算によってではなく、両者のバランスを自動調節するのがこの原理だとすれば、あらゆる外環境の複雑さや不確実性は際限ない特殊解を見出す可能性に満ちているというモチベーションを促してくれるのではないだろうか。

そして個人的にも、不意の予想外な出来事や、隠された危険があるかもしれないというリスクを伴う環境へと、エネルギー試算をベースとした仮想的な介入を、能動的に試みるという意味でも、どこか精細なアナロジーの可能性に満ちている予感がする。