大和田俊《I never lock a door of a room different from the one you are in》

宮坂 直樹

とりわけ政治的な主題を扱うまでもなく、芸術はその形式においてすでに特有の政治性を孕んでいるとすれば、作品を通じて行われるアーティストと観者の間の、不断の交渉の下に行われるコミュニケーションは、芸術の形式特有の政治性であると言えるのではないだろうか。作品は、アーティストが意図する意味を、透明なまま伝達しないし、観者は、作品に見出される情報を無視して、際限なく思うままに作品を解釈しない。インスタレーションのしつらえ自体を、作品についてのある種の情報を内包する媒体であると考えるとき、一般的にインスタレーション・アートとして認識される作品の細部はもとより、絵画にしろ彫刻にしろ、従来の芸術形式の範疇にある作品を、展覧会においてどのように提示するのか、その所作それ自体にも作品を読み解く伴を求めることができるのではないだろうか。

【Fig. 1】大和田俊《I never lock a door of a room different from the one you are in》2018年、「不純物と免疫」展 BARRAK1、沖縄, Photo by KUMAGAI Atsushi

大和田俊の《I never lock a door of a room different from the one you are in》【Fig. 1】の設えもまた、作品についての核心的な情報を内包している。トーキョーワンダーサイト(現トーキョーアーツアンドサポート)の企画公募プログラムOPENSITEに採択され、長谷川新がキュレーターを務めた「不純物と免疫」展に出品された本作は、東京都のトーキョーアーツアンドサポート本郷と沖縄のBARRAK 1で発表された。《I never lock a door of a room different from the one you are in》は、ガスボンベと接続している膨張した風船と、それを挟んだ二枚の仮設壁で構成され、風船の圧力によって歪められた仮設壁によって、作品を含めた展覧会場内に存在する様々な物質の物理的な関係性に目を向けさせる。本作が展示された「不純物と免疫」展のカタログには、観者に与えられるべき情報として、ある仕掛けが施されていることが記されている。

今回大和田は壁を制作し、壁の間に風船を挟んでいる。風船は24時間、定期的に非常に低い確率で割れるようにプログラミングされている。その確率の低さから、鑑賞者が割れる音を聴取することはほぼないと言ってよい。しかし、会期全体を通したとき、風船の割れる確率はちょうど51%になるように計算されている。*1

風船が独立して設置されているのではなく、壁に挟まれているという状況によって、風船は、ガスボンベで送り込まれる空気による内部の圧力と、仮設壁によって一定以上の膨張を阻止される外部の圧力という二つの力によって破裂する可能性があるということが語られている。展覧会場において観者は、直接的には仮設壁に挟まれガスボンベと繋がった風船のみを見ることができるのであるが、カタログ、あるいは受付で投げ掛けられる注意喚起によって、風船が割れる瞬間に観者が遭遇する可能性を示唆されることで得る情報もまた、作品を構成する要素となっている。

このような、外在的な情報によって解釈を成立させるという手法を、大和田は他の作品でも使用している。《unearth》【Fig. 2】では、複数の石の周囲にマイクロフォンが配置してある。この構成は、明らかにポール・コスの、2つの氷のブロックの周囲に複数のマイクロフォンを配置した作品《Sound of Ice Melting》を想起させるが、石には、その上部に設置されている点滴から酸が少しずつ滴る仕掛けとなっている。酸が石に接触すると、石の中に含まれた化石が溶けて化学変化を起こし、二酸化炭素を発生させる。マイクロフォンによって集音された音はスピーカーを通して観者の耳に届く。この時点では、化学変化の変哲も無い音が聞こえるだけであるが、ここで使用されている石が、約2億5000万年前に絶滅したフズリナという単細胞の原生動物化石から構成される石灰岩であるというという情報を与えられることによって、人間のスケールを超えた物質の時間について、観者に思弁することを促す。ポール・コス+2億5000万年前のナラティブが大和田の《unearth》である。

【Fig. 2】ポール・コス(Paul Kos)《Sound of Ice Melting》1970年、Solomon R. Guggenheim Museum、https://www.guggenheim.org/artwork/22128 © 1970 Paul Kos

《I never lock a door of a room different from the one you are in》に話を戻すと、風船が51%で破裂するという情報は、各々の滞在中に風船が割れる確率を観者に注意させ緊張感を与えるよう働きかけていると解釈することができる。観者はプログラミングが具体的にどのようなシステムなのか、またはそもそもプログラミングが実際に機能しているのか否かを確かめることはできない。

しかしここで指摘したいのは、アーティストによって設定された情報の意図や、プログラミングのシステムの内実ではなく、インスタレーションに表出される情報によって、アーティストが事前に設定した情報が覆されてしまうという危険性である。観者は、アーティストから何らかのプログラミングによって、会期中に51%の確率で風船が割れる仕掛けを施したという情報を与えられるが、作品の表象に顕著に現れた風船の圧力による仮設壁の歪みというインスタレーションのノイズによって、設定された仕掛けがアーティストの意図に反して物理的に阻害される可能性を示唆されることになる。仮設壁から十分な圧力を受けている状態であれば破裂に達する量のヘリウムガスが送り込まれたとしても、仮設壁の設置の脆弱さによって圧力が吸収されてしまう様を、ラオコーン像の断末魔のごとく想像してしまうからである。かくして、詳細に設定された51%という数字は信憑性を欠き、テキストや受付で周到に与えられた情報はその効力を失うのである。そして実際に展覧会期中に風船が破裂しなかったという事実は、観者にいかなる驚きも与えず、疑惑は確信に変わってしまう。

仮に仮設壁が風船の圧力を制圧する耐久性を示すのならば、そもそも実際にプログラミングが存在する必要すらないのかもしれない。



*1 「不純物と免疫」展カタログ Vol. 3 p.17