はじめに
「あらかじめ決められた設定に従って制作することは主観性を避けるための一つの手段である*1」───そう記された「コンセプチュアル・アートに関する断章」を六七年に発表したソル・ルウィット(Sol LeWitt, 一九二八 – 二〇〇七)は、グリッド状の彫刻作品や壁一面に図形を構成したウォール・ドローイング【図一】で最もよく知られているアメリカの作家である。ルウィットが活動を開始した六〇年代半ばのニューヨークで展開されていたコンセプチュアル・アートやミニマリズム、ポスト・ミニマリズムといった実践は、時に抽象表現主義における情緒的な表現への反動として、「堅苦しく単調な*2」ものとなったと説明されてきた。確かにこれらの芸術運動に関わった当時の作家たちには、モダニズム絵画・彫刻における視覚的イリュージョニズムを乗り越えるために、よりリテラルな──「モノ」そのままの───作品を志向していったという経緯がある*3。そのプロジェクトに関わった作家たちの実践は多岐に渡るが、それらは英雄的な制作者としての作家像に伝統的に結びつけられてきた作為性をあえて避けるような態度によって共通していたともいえる。ニューヨークの六〇年代美術が機械的でミニマル、そして非人間的で非政治的な印象を与えるとすれば、それは作品におけるこうした主体性の──それが排除でなければ───「遠ざけ」が与える効果の一つであると仮定することができよう。
本稿の冒頭で提示した、壁面に対して規定したグリッドに沿って厳密に直線を重ね合わせたルウィットの作品もまた、そうした「遠ざけ」によって制作された作品であるように見える。そのため、ルウィットが一見彼とは対照的に見える実践を続けてきた作家たち──人種やジェンダーの問題に鋭く切り込む作品の発表を続けてきたエイドリアン・パイパー【図二】ら───の最初期からの擁護者・友人であり、また同様に政治的な主題を扱った作品で知られるグレン・ライゴンにも多大な影響を与えていたという事実は、意外なように感じられるかもしれない*4 。ルウィットの還元的なコンセプチュアル・アートと、パイパーやライゴンが展開したより政治的な作品との間には、想像上の断絶があるように思われるが、私たちは一体そこにどのような繋がりを見ることができるのだろうか。
「芸術の脱物質化」批評の見取り図
当時ニューヨークのアートシーンで支配的な影響力を持っていた『オクトーバー』誌の六〇年代美術の批評は、ルウィットをはじめとする当時の作家の非人間的・非政治的な印象を形作った一つの要素であったといえるかもしれない。当誌で活躍した批評家の一人であるロザリンド・クラウスは、六〇年代美術についての重要な論考を複数発表しており、また九六年にはイヴ = アラン・ボワとともに『アンフォルム:無形なものの辞典』を出版し、当時代の実践の再解釈を行っている*5。六〇年代美術をめぐるクラウスの批評の内容についてはこの後本稿で見ていくが、クラウスの批評の傾向として、作品の中に作者の主体性との直接的な繋がりを読むことを避け、あくまで作品の「形」の政治性というところから議論を展開してきたところがある*6。
一方で、当時の美術批評の聖典としてその地位を確立していたフォーマリズムの領域で作品を論じる『オクトーバー』派の実践に対して批判的な立場を取った者もいた。「芸術の脱物質化〔The Dematerialization of Art〕」は、一九六八年に雑誌『アート・インターナショナル』において美術批評家のルーシー・リパードとジョン・チャンドラーによって発表された、六〇年代末当時のニューヨーク・アートシーンを論じた記念碑的な論考である*7。当論考は作品における視覚的な要素の重要性がもはや第一義でなくなった「美学以後〔post-aesthetic〕」の作品群を「ウルトラ・コンセプチュアル・アート」と形容して理論化した重要なテキストとして知られている*8。リパードはとりわけ、コンセプチュアル・アートが商品としての芸術作品のステータスを侵犯する可能性や、情報化を通して国際的なコミュニケーションを活発にする可能性、そしてコンセプチュアル・アートにおける安価な素材の使用が多くの女性作家に作品制作の契機をもたらすことの可能性に注目していた*9。リパードは脱物質化していく芸術の中に、物質という形に囚われなくなった作品がニューヨークのアートシーンを脱中心化する可能性を見ていたのである。こうした立場から最初期からコンセプチュアル・アートを擁護してきたリパードが、その後アート・アクティヴィズムへの関心を強めていくこととなるのは不思議なことではない*10。しかしながらリパードのアンチ・フォーマルな関心は、作品内に特定の政治的な参照項を持つ作品を評価しなかったクラウスらの実践と異なる位相を持つものであった*11。
こうして六〇年代美術についてクラウスとリパードがそれぞれ展開した美術批評は、どちらも大きな影響力を持ったものでありながら、十分に交わることがなくパラレルに──クラウスが『アンフォルム』でリパードの仕事に一切言及しなかったことや、リパードが「ポストミニマリズム」という名称を嫌悪していると主張していることからも読み取ることができるが*12───展開してきた部分がある。九〇年代以降、六〇年代美術の異なる側面を捉えていた両者の実践を調停するための実践が研究や批評で見られるようになるが*13、その実践はとりわけ日本においては十分な紹介が行われておらず、そのために『オクトーバー』派の実践を対象化する批判的な検討が停滞している現状があるように思われる。そこで本稿ではここから、「芸術の脱物質化」時代のキーワードとして考えることができる「主体性」の取り扱いに注目しながら、よりフォーマルな読解とより政治的な読解として互いにカウンターとして位置づけられてきた両者の美術批評の立場を縫い合わせるように行き来することで、六〇年代美術の微妙な性質──政治的な作品を制作してきたパイパーやライゴンといった若手作家達が当時ルウィットの作品の中に見出したもの───を捉え直すことを試みたい。
ロザリンド・クラウスの「芸術の脱物質化」解釈──主体の不在?
まずは、ロザリンド・クラウスが一九七三年に発表した論考「分別と多感〔Sense and Sensibility〕: 六〇年代以降の彫刻をめぐる省察」から、「芸術の脱物質化」の動向に関するクラウスの解釈を概観した上で、彼女がルウィットの実践についてどのように論じたかを確認したい。クラウスは当論考で第一に「芸術の脱物質化」や「ポストミニマリズム」といった概念が単にコンテクスト内における前時代の芸術運動に対するカウンターとしての位置付けでしかなく、その内部にある矛盾した複数の実践の特徴を捕らえるに至っていないことを批判する*14。そこでクラウスは、私的言語〔private language〕という概念を持ち込んで、六〇年代美術のパラダイムを論じることを試みる。
クラウスによると、抽象表現主義の絵画は、絵画的空間をイリュージョニスティックに視覚的再現=表象する伝統的な絵画を乗り越えるような実践であったが、それは作家の自己の内面の表現であるという点で、依然として作品に先立って存在する空間、すなわち作家の「精神的空間〔mental space〕」の表現となっていた。そのため六〇年代美術が掲げていたイリュージョニズムの粉砕という課題は、単に絵画的空間を否定するだけでなく、各作家の精神的空間を構成する私的言語を拒絶することを意味するとクラウスは説明する。そして、クラウスがその仕事を成し遂げた作家として評価するのが、私たちの空間把握に深く根ざしている垂直と水平を象徴的に示す「十字」を画面の表面と完全に一致させることで、内的〔private〕な精神的空間を外的な公的空間〔public space〕に晒し出してみせたフランク・ステラの絵画【図三】であった*15。
また、クラウスが六〇年代以降の彫刻を評価するのも、そうした内的な精神的空間を脱し、それまでは共有不可能であった作者の「自己」を公的な空間に外在化したという点で革新性があったとするためである。そのためクラウスは、ミニマリズム・ポストミニマリズムにおける現象学的な経験を作品の要素とする姿勢や、規則やシリアル化を通して作品を制作したコンセプチュアル・アートにおける言語的記号としての図形を展示空間に直接的に配置する実践に革新性を見出しているのである*16。
クラウスは七七年にルウィットについての論考を書いているが、ここでルウィットは先に述べたコンセプチュアル・アーティストの実践とは一線を画す存在として論じられているように見える*17。クラウスは、ルウィットはただユークリッド幾何的空間を公的空間に露呈させただけにしては、「あまりに散漫で、あまりに強迫観念的である」と説明する*18。つまり、一部が欠けてもなお成立が可能な立方体のパターンをすべて提示するルウィットの《不完全なオープン・キューブ》【図四】のような作品は、人間の合理的な思考のあり方からはかけ離れているというのである。ルウィット本人もまた自身の作品についてそれが「非合理的」なものであると語っているが、クラウスはそれを次のように解釈する。フォーマリストの作品が制作の過程でその都度合理的な決断を下しながら作られるのに対し、そのような決断がなされることなく展開していくルウィットの作品は、「理性との連絡を断った機械の歯車を回転する*19」ようにして展開されていく。そうしてルウィットの作品の中で表現されるのは、「まさしく中心の無い世界、超越的主体の露呈によって正当化される場所を持たない代置と転位の世界*20」であるというのだ。
クラウスの分析を本稿の主題に引きつけて読むならば、精神的空間から脱した六〇年代美術に作品における作家の主体性の「遠ざけ」が論じられていたのに対して、ルウィットの作品においてもはや主体は不在のものとなり、その主体性の不可能性の議論へと向かっているように思われる。そして、クラウスは『アンフォルム』においてもジャッドの作品においても、その主体の不可能性──それは「不在なまま、見ることの領野を漂わせる*21」主体である───にこそ可能性を見いだしていたといえよう。しかし、六〇年代美術とルウィットをめぐるクラウスの解釈を確認したところで、改めて私たちは一度『オクトーバー』誌による六〇年代の彫刻についての座談会で美術批評家・ティエリー・デ・デューブがクラウスらに投げかけた素朴な──そして核心をついた───問いに立ち戻る必要がある。「主体性の排除などということが本当に可能だと思っている人なんているのですか?*22」
ルーシー・リパードのソル・ルウィット論──客観的で個人的な
ルーシー・リパードであれば、先の問いを否定するに違いない。ここからは、ルウィットの初期の作品についても論じながら、クラウスとはまた別のルウィット像を描き出しているリパードの批評を概観し、また別の側面を読み加えてみたい。リパードの大きな仕事の一つには、情緒的な彫刻作品【図五】を制作した作家エヴァ・ヘス(Eva Hesse, 一九三六 – 一九七〇)の仕事をルウィットとの交友関係から読み解くものがあるが*23、そこでリパードはヘスがまだ名の知れない作家であった時から続いていた二人の実践と相互の影響関係について語ることで、クラウスによるルウィット評では欠いていたように思われるルウィットの作品の「内容」について言及を行っている。
リパードはルウィットのコンセプチュアル・アート作品について、二つの内容──存在する形に対して外側から内容を詰め込むものと、反対に形自体の内側から作品を作り出すもの───があるとして、ルウィットがその二つを区別していたことを説明する*24。その上でリパードは、ルウィットの最初期の作品が前者であったのに対し、次第にシステムや順列を通して後者へと移行していったと区別している*25。この主張はクラウスのルウィット論と矛盾しないが、一方でリパードとクラウスのルウィット論を分かつものに、作品における「個人的な」ものの取り扱いがある。
リパードはルウィットの作品を説明する際、その両義的な性質を記述する。例えばルウィットの作品はシステムの導入によって曖昧さを排除する方向に向かうものの、一方でウォール・ドローイングは作品を実行・設置する施工者の解釈によってその都度作品の仕上がりに変化が生じるようにするなど、曖昧さと予測不可能性を作品の中に再導入している*26。ルウィット自身がコンセプチュアル・アートについてそれが「理論的なものでも理論を説明するものでもなく、直感的なものであり、あらゆる類の精神的プロセスに関与していて目的のないものである*27」と語っているように、ルウィットのアウトプットの方法は主体性を遠ざけるものであっても、そのアイデアは自由な発想と直結していた。ルウィットは、ヘスに宛てた手紙で「自分の中のなにか変なユーモアをくすぐってみてください…あなたは自分自身の最も秘密の部分に属しているはずです*28」と励ましの言葉を送っているが、直感はルウィットの作品における主体性の遠ざけとは矛盾せず、むしろ作品を駆動する重要な要素であった。リパードによると、ルウィットのそうした姿勢は、確かにヘスと相互に影響を与え合っていた──ヘスはルウィットから引き継いだグリッドを「仮枠」にすることによって作品の中に個人的な感情や触覚を表現することを可能にしていた*29。こうしてリパードは、ルウィットの作品が主体性を遠ざけるものでありながらも、同時に個人的であることができるものとして論じているように思われる。
一見対照的な作品を制作していたヘスの仕事の中にルウィットの影響関係を論じたリパードの仕事は、「芸術の脱物質化」と同様にフォーマリズムとは別様の方法でコンセプチュアル・アートを読み開く実践であったといえよう。リパードはその後、ヘスは当時直接的に女性性を強調するような作品を作ることを慎重に避けていたことを指摘しながらも、ヘスを含む女性作家の動向を「エキセントリック・アブストラクション*30」と名付けて展覧会を企画するなど、その解釈をフェミニズムの領域へと──それがメタフォリカルな想像力を許容する点でそれはクラウスらの「アンフォルム」の実践とは異なる*31───開いていった。
ここまで、リパードの六〇年代美術およびルウィットの解釈が、主体の不在ではなくむしろ、作品における主体性の遠ざけの操作の中でこそ可能になった個人的な表現を捉えるものであったことを明らかにしてきた。このことを踏まえて、冒頭で掲げた問い──ルウィットの還元的なコンセプチュアル・アートと、パイパーやライゴンが展開したより政治的な作品との間には一体どのような繋がりを見ることができるのか───に立ち戻って考えてみたい。
エイドリアン・パイパーのコンセプチュアル・アート
エイドリアン・パイパー(Adrian Piper, 一九四八 – )は、アメリカ・ニューヨークに生まれ、一九六〇年代後半より同市を中心に多様なメディアを用いた作品を発表してきた作家である。パイパーは、人種やジェンダーを主題とした七〇年代以降の作品やテキストによって最もよく知られており、それらは八〇年代以降興隆するフェミニズム・アートや、ポリティカル・アートの最初期の実践として位置付けられてきた。こうしたパイパーの功績については近年の回顧展によって整理されつつあるほか、コンセプチュアル・アート研究者であるジョン・ボウルズは自身の研究でパイパーの作品群を女性解放運動やベトナム反戦運動といった政治的な文脈の中で読み解き、ブラック・フェミニズムの実践と共鳴するものであったとして評価している*32。一方で、より政治的な後期のパイパーの作品に立脚し研究に対して批判的な立場を取り、初期の実践の重要性を改めて読み直すような研究もまた見られるようになった。そうした研究において注目されるのは、パイパーがルウィットの影響を受けて六〇年代末に制作していたミニマルなコンセプチュアル・アートの作品群である。ここからはパイパーの後期の作品への変遷を用意したものとして六〇年代美術を論じたニザン・シェキッドの近年の研究を見ていきたい。
シェキッドは、フォーマリズムに対抗するものとしてのアイデンティティ・ポリティクスの枠の中でパイパーの作品を検討するだけではその仕事の豊かさを読みこぼすことになると主張する研究者の一人である*33。そこでシェキッドが用いるアプローチは、パイパーの初期の仕事を六〇年代末のコンセプチュアルアートの系譜から読み直し、そこから後期の仕事へと繋がる通底した態度を読み取るというものである。シェキッドの研究で詳らかにされていくのは、アイデンティティ・ポリティクスに対して慎重に距離を取り、ルウィットに倣って作品の中で作家の主体性を遠ざけながらも、個人的であり続けるパイパーの姿である。
例えばシェキッドが本書で論じているパイパーの《コンクリート・インフィニティ・ドキュメンテーション》【図六】は、五七ページに及ぶ作家の三週間分の「記録」が一ページずつ額装され、グリッド状に壁に並べられた作品である。パイパーは当作品において、一日一枚ポートレート写真を撮影してノートに添付し、その長方形のページにぎっしりと文字を詰めるようにその日の自らの行動を可能な限り客観的に記録する。その記録の文章は次のような調子で続いていく。「午前六時四五分に起床。小便と大便をした。ラジオをつけた。体重は四四.七キロだった。体温は三六.一度だった。ベッドを整えた「甘草根茶とハーブのスープを作った。大豆を食べた。スプラウトを冷蔵した。小便をした*34」…。それは過剰なほど事務的に記録されたパイパーの日常の動作である。当作品においてパイパーは個人的な事柄を扱いながらも、それを極めて客観的なやり方で記録し、ルウィットの作品を想起させるようなグリッドを用いてアウトプットを行なっていることがわかる。自らの身体を作品の中に要素として持ち込みながらも、それを慎重にコンセプチュアル・アートの手法を用いて整理していたパイパーの作品について、シェキッドは以下のようにまとめている*35。
パイパーの実践は、主体的な根拠を再確認するためではなく、まったく逆に、社会関係の集合としての主体性の機能を解明し、人種差別的な家父長制の秩序の中での染みついたものを構造的に解体するために、そして主体性を脱神秘化するために、個人的な物語を用いていたのである。
シェキッドの解釈によれば、パイパーの実践はアイデンティティ・ポリティクスの範疇に陥るものではない。パイパーがコンセプチュアル・アートに見出したのは、作品における主体性を注意深く遠ざけながら──シェキッドの言葉を借りれば「脱神秘化」しながら───個人的な問題を扱う戦略であったのである。こうしたパイパーの初期の実践に注目すれば、作品における政治的な主題の導入という変化が決してある時期の「目覚め」によって起きたものではないことは明らかである。ルウィット自身は直接政治的な主題を扱った作品を制作することはなかったが、主体性の遠ざけによって内容を物質と調停したルウィットの手法は、個人的なものの導入に向かったパイパーをはじめとする多くの若手作家を勇気付けたのである*36。
おわりに
ここまで六〇年代末のニューヨーク・アートシーンにおける「芸術の脱物質化」をめぐる二つの批評を突き合わせながら──作品を単に構造的・記号論的レベルで論じるのでも、アイデンティティ・ポリティクスの問題として論じるのでもなく───六〇年代末の美術を「主体的であること」と「個人的であること」という観点から再解釈することを試みた。ルウィットの作品をはじめとする当時代の実践に見られる主体性の遠ざけという操作は、一見非人間的*37で非政治的な印象を与えるものであるが、それが主体を不在という不可能性の淵に追いやったとは言い難い。 むしろ私たちはルウィットの実践を、主体性を制御し遠ざけながらも、コンセプトを前景化して個人的なものを作品の中に導入することを可能にし、七〇年代以降展開していくより政治的な作品群を準備したものとして読み直すことができるのではないか。異なる立場から書かれた批評をマッピングし、改めて検討してみることで、私たちは作品と何度でも出会い直すことができる───それは、ルウィットの素っ気ない格子の奥に直感的な遊び心の煌きを、観客に直接的に対峙するパイパーの作品の奥にグリッドの整然とした枠組みを見ることを可能にするのだ。