「芸術物体の脱物質化[Dematerialization of the Art Object]」という言葉がある。67年末に執筆されたのち68年2月に発表されたルーシー・R・リパードとジョン・チャンドラーの共著による論考「芸術の脱物質化」*1において「芸術の、とりわけ物体としての芸術の深遠な脱物質化」として提起されたものだ*2。とりわけ1960年代に入ってから芸術作品において増加した傾向──「思考の過程のほとんど排他的なまでの強調化」に基づく「物質的な側面(唯一性、恒久性、装飾的な魅惑性)の非強調化」──を端的に捉えた表現である。同論において「脱物質化」は進歩史観のなかに位置づけられている。近視的にはまずミニマリズムからの展開である。「スタジオでデザインされた作品が他の場所で専門の職人によって実作される傾向が進み、実作された物体が単なる末端の産出物に成り果てるなかで、一定数の芸術家たちが芸術作品の物理的な展開に関心を失っている」と冒頭で述べられている。それはまた67年6月にソル・ルウィットがミニマル・アートを部分的に置換する名称として提起したばかりの「コンセプチュアル・アート」からの拡張でもある。リパードら*3は「ウルトラ=コンセプチュアルな芸術」という表現を「脱物質化」の同義語として用いることでルウィットが明示した外観や形体や物性を重視しない作品群を包含しつつその方向性をさらに推し進めた作品群をも射程に入れるのだ。さらに遡ってダダやシュルレアリスムそして何よりもデュシャンとの関係も検討されているがより大局的には人類史に沿った芸術の展開を5つの領域に分けるジョセフ・シリンガーの理論が援用されている。リパードらによれば「脱物質化」はシリンガーが提起する段階のうち4つめの「理性的-美学的」と5つめの「科学的、美学以降」の過渡期にあたるという。後者は「芸術の諸形体および諸物質の融合と「芸術の崩壊」すなわち「アイディアの抽象化と解放」によって特徴づけられる」とされている。こうしてリパードらが示唆するのはやがて最終的に訪れるだろう「物体の完全なる衰退」である。同論ではこの来たるべき「究極的な零位点」への途上にある「ウルトラ=コンセプチュアルな、脱物質化された芸術」の作例としてロバート・ラウシェンバーグによるデ・クーニングのドローイングを消しゴムで拭い消す仕事(1953年秋に制作)およびイヴ・クラインによる何もない画廊空間をそのまま提示する仕事(1958年4月に発表)を皮切りにソル・ルウィットによる連続的に変化する形体(詳しくは後述する)や河原温によるその日の日付を描いた絵画からジョセフ・コスースによる辞書のページの一画をフォトスタットで拡大した図版やテリー・アトキンソンとマイケル・ボールドウィンによる太平洋の海原の一部を切り取った地図やダン・グラハムの具体詩さらにはダン・フレイヴィンによる蛍光灯を用いた構成やカール・アンドレによる数学的に配列された煉瓦やロバート・ライマンによる引き裂いたマスキングテープで無造作に壁に貼られた白い画布やウォルター・デ・マリアによる砂漠に引かれた線やロバート・スミッソンによる野外の作品ひいてはイヴォンヌ・レイナーのダンスやマイケル・スノウによる引き延ばされた映像やグスタフ・メツガーによる塩酸を使った自己破壊芸術まで現在では一般にコンセプチュアル・アートやミニマル・アートはもちろんランド・アートやパフォーマンス・アートや構造映画など多岐に渡る分野に振り分けられる主に60年代中頃に制作された膨大な作品が網羅されている。その雑多な作品群を貫く唯一の共通点は──列挙された芸術家の多くが北米で活動していたことを除いては──「物質的な側面の非強調化」という形体的な特徴だった。そこでは空洞や空白や薄っぺらい材料や切り詰められた要素や言語の断片が活用されていたのである。
「芸術物体の脱物質化」という括り方の問題はこの乱暴さに集約されている。当時リパードらのもとに多く届けられたという紙片であれ写真であれ物質なのだから「脱物質化」という言葉は欺瞞的だといった類の些末な批判に今さら与したいのではない*4。傷はもっと深刻でほとんど不可逆的である。「脱物質化」はやがてコンセプチュアル・アートをいわば「呑み込む」ことになるのだが今日まで続くコンセプチュアル・アートの混沌はそのとき開いた亀裂にこそ端を発していると僕は考えるのだ。だから僕は「脱物質化」とは別の──より適正な──表現が代わりに定着していた世界線を夢想する。そして願わくばそれを移設して私たちの世界線を上書きしたいと思う。そのとき私たちはコンセプチュアル・アートの本来的な豊かさをより明瞭な形で掴みとり深めていくだろう。
どういうことか。まずはコンセプチュアル・アートについて見直そう。繰り返せばこの名を提唱したのは芸術家のソル・ルウィットである。「芸術の脱物質化」が世に出る約半年前の1967年6月に彼が発表した論考「コンセプチュアル・アートについての諸段落」*5は「私は私が参与している類のアートのことをコンセプチュアル・アートと呼ぶことにする」という宣言で幕を開ける。まずは彼がこの呼称に行き着いた経緯について触れたい。文中における揶揄*6からも後年の述懐*7からも明らかなとおりルウィットが同論考を綴った背景には彼自身の作品が──とりわけ1966年4月にユダヤ博物館で開催された「プライマリー・ストラクチャーズ」展*8に出品して以降──批評家たちに「ミニマル・アート」として括られたことに対する反発があった。確かに彼がそのころ取り組んでいた可換部位で構成された格子状の立体作品の形体は極度に簡潔的な意匠へと切り詰められていた。しかし形体はあくまでも結果であり目的ではない。肝要なのはそれを導き出した演算的な制作行為の方法論なのである。作品の結果的な外観のみに基づいた「ミニマル・アート」という括り方から自身の作品を方法論的な特徴に基づいて差別化するためにルウィットがまず造り出したのは「シリアル・アート」という呼称だった。その条件は「規則的に変化する複数の部分によって成立する」という連続的な構造のみではない。それを実現するための方法論こそが枢要である。1966年の秋に発表された論考「シリアル・プロジェクト#1」*9において彼は自作《シリアル・プロジェクト#1》(実物は1967年4月に発表)を例示しつつ「シリアル・アーティスト」による制作行為の手順を定義している。同作の全体を「統治」するのは「ある形体の内側にもうひとつの形体を配置することおよびその二次元と三次元における主要なバリエーションをすべて包含すること」という「前提」である。それに基づいて彼はアルミニウム・チューブ製の81インチx81インチの正方形と28インチx28インチの正方形を基本の形体として設定する。前者の中央に後者を配置したうえでそこから「正方形の内側に立方体、立方体の内側に正方形、内側の立方体と同じ高さまで立ち上げられた外側の形体、外側の大きい立方体と同じ高さまで立ち上げられた内側の形体、立方体の内側に立方体、そしてこれらの形体すべての組み合わせ」をひたすら立ち上げていく。その制作過程においてシリアル・アーティストは「主観性を回避しながら結論に達するまで彼自身が事前に規定した前提に従いつづける」。そのとき彼はいわば「前提の結果を目録化するだけの単なる事務作業員として機能する」のである。伝統的な造形作家が「美しいあるいは謎めいた物体を造り出す」ために実践する方法論とは根本的に異なるのだ。それから約半年後にルウィットはシリアル・アートの方法論をそのまま踏襲しつつ「規則的に変化する複数の部分によって成立する作品」という規定を外したうえで「前提(プレマイズ)」と「結論(コンクルージョン)」という語をそれぞれ「発想(アイディア)」と「実現(リアライゼーション)」という語へと書き換える。こうして汎用性が高められた──より多くの芸術家たちの仕事に適用可能となった──枠組みこそが「コンセプチュアル・アート」である。
「コンセプチュアル・アートについての諸段落」に戻ろう。先ほど紹介した本文冒頭の一文に続いてルウィットは次のことを告げる。いわくコンセプチュアル・アートの作品においては「アイディア」こそが最も重要な側面である*10。このこと自体はそこまで特異なことではない。伝統的な芸術においても何らかのアイディアなしには制作自体が始まらないのだから。大きな違いは制作過程にこそ見出される。絵画や彫刻という伝統的な媒体の制作過程において芸術家は試行錯誤を繰り返しながら「色彩や表面や質感や形状」といった「作品の物理的な側面を強調するばかりの」諸要素と格闘する。塗り直し描き直し彫り直し削ぎ直す。そのなかで当初の計画はいくらでも反故にされる。どんどん逸脱は進む。最終的に作品は鑑賞者の「目あるいは感情」を「掴んで離さない」ような外観を持つ物体として仕上げられる。翻ってシリアル・アートの拡張版としてのコンセプチュアル・アートでは作品の制作過程において芸術家が試行錯誤することはない。「直観によって発見される」ところのアイディアは絶対不可侵なものでありその純度は着想された当初から実行の完了まで徹底的に保持される必要がある。「主観的な判断」を制作行為に適用してはならない。アイディアが「弱体化」してしまうから。ここでは先ほど示したルウィットの作品《シリアル・プロジェクト#1》を具体的な作例として引き続き思い浮かべてほしい。当初の規則から逸脱して内側の立方体の高さを天井まで延長したり形体を三角錐に変更したりすることは着想時点で「アイディア」に孕まれていた可能性を潰すことになる。「もしも芸術家が自身のアイディアの十全な探求を望むなら、それが芸術として制作されるとき、恣意性や場当たり的な判断は最小限に抑えられ、心変わりや選り好み、他のあらゆる気まぐれは廃絶されるだろう」。最終的に作品は鑑賞者の「目あるいは感情」ではなく「精神」を結果的な外観ではなく発端にある「アイディア」へと到達させようとする。「色彩や表面や質感や形状」はその導線において「阻害物」となるため可能な限り「面白みのない」あり方に抑えられる。コンセプチュアル・アートにおいて作品を「デザイン」するのは芸術家の「恣意」による試行錯誤や「職人としての技能」ではなく事前の「計画」それ自体なのである。ただし重要なのはアイディアに基づいて計画されるのは行為の内容ではなくあくまでも「所定の問題の解決を統治する諸規則」の一式であるという点だろう。それは競技に似ている。たとえばルウィットが同論考の導入部で比喩として持ち出す野球と同様である*11。ルールは事前に決められている。でも試合が実際にどう進むのかは予測できないし予測しても裏切られるのが常である。芸術家はプレイボールからゲームセットまで規則の徹底的な施行にみずからの身体をひたすら奉仕させるだけだ。それが導く成り行きを受け入れて「目録化」するだけだ。ルウィットの理論はそれを実践するための方法論である。こうしてコンセプチュアル・アートの特異性は制作行為の渦中にこそ認められるだろう。「所定の問題の解決を統治する諸規則」への徹底的な服従による「主観性の回避」がそれである。
いまや「コンセプチュアル・アート」と「芸術物体の脱物質化」の齟齬は明らかだろう。ルウィットは極度の簡潔性という作品の形体による区分を転覆するべく規則への服従による主観性の回避という方法論による区分を提案したわけだがその半年後に提起されたリパードらの「脱物質化」はその分割線をさらに広い傘で覆い包むことで状況を退行させる。ルウィットの企みは芸術を分類する主体を作品の表面しか見ない批評家たちから制作の内実を知っている芸術家たちの手に取り戻す試みでもあったが*12リパードらは批評家の典型として振る舞ったのだとも言えるだろう。多くの異なる方法論によって──多くの異なる制作態度のもとで──作られた作品たちを「ミニマルさ」あるいは「物質的な側面の非強調化」という形体的な共通性だけで一絡げにしているという点において「ミニマル・アート」と「芸術物体の脱物質化」は相似的なのだ。
にもかかわらず「芸術物体の脱物質化」はあろうことか「コンセプチュアル・アート」の変名あるいは同義語として流通していく。別の言い方をするなら「コンセプチュアル・アート」は「ウルトラ=コンセプチュアル・アート」に呑み込まれてしまう。この包摂は当然の帰結なのかもしれない。「規則への服従による主観性の回避」を経ずとも「芸術物体の脱物質化」という結果に到達することはいくらでも可能なのだから前者よりも後者の方が広い勢力範囲を持つことは明白である。方法論の特徴である前者と比べて形体の特徴である後者の方が一見して分かりやすいことも要因のひとつだろう。さらに決定的なのはこのとき「ウルトラ=」という接頭辞が脱落したことである。そこには次のような事情が働いていたのではないか。リパードらの論考の発表直後である68年中頃から69年前半にかけてダグラス・ヒューブラーやローレンス・ウェイナーやロバート・バリーやイアン・ウィルソンらが相次いで作品をさらなる「脱物質化」へと発展させた*13。ヒューブラーは《ボストン=ニューヨーク・エクスチェンジ・シェイプ》(1968年9月に実作)においてアメリカ東海岸の地図上でニューヨークとボストンの両地に同寸の六角形を配置したのち各頂点にあたる場所を実際に訪れて小さな丸いステッカーを道端のポールなどに貼り付けたうえで周囲の状況を平易な写真に記録した。計12枚の写真に加えて各頂点の住所などがタイプされた紙と地図とダイアグラムが作品を構成する*14。ウェイナーは《一枚の壁面からの木摺壁あるいは石膏製の支持壁もしくは壁板の36インチx36インチの剥奪部位がひとつ》(1968)や《標準的なスプレー缶から2分間に渡って床へと直に噴霧されたスプレー塗料》(1968)や《標準的な一車線の車道を横切る2インチの幅と1インチの深さを持つ溝が一筋》(1968)といった特定の状況を記述した言明*15のそれぞれを言語による「彫刻」として提示したうえでそれらの記述された状況をウェイナー自身が実現させても他者が実現させても誰も実現させなくても作品それ自体に影響は及ばないとした*16。当初はウェイナー自身によって実作される例も少なくなかったがそのようにして現実化した状況はあくまでも可能な作例のひとつでありそれを撮影した写真はあくまでも純粋な記録物とされる。バリーは《88mc搬送波(FM)》と《1600kc搬送波(AM)》(ともに1968)で空っぽの室内を特定の周波数変調波と振幅変調波で満たした*17。また《イナート・ガス・シリーズ》(1969年3月)においては不活性ガスすなわち他の物質と化学反応を起こしにくいヘリウムやアルゴンやネオンといった特定の気体の一定量を任意の場所で大気中に放出したうえでその場の風景を平易な写真に記録した*18。ウィルソンは68年後半に他人との会話のなかに「時間」という単語の自身による発話をいきなり差し挟む行為を皮切りに口頭の会話のみを媒体とする連作《ディスカッション》を開始した*19。招待状や購入証明書は残されるが会話それ自体が作品である。彼らの仕事はどれもルウィットが定義する方法論を多かれ少なかれ踏襲しつつ結果として「物質的な側面の非強調化」を促進している*20(コンセプチュアル・アートにとって作品の外観や形体や物性は重要ではないがそのことが直ちに「脱物質化」を意味するわけではない)。もちろん「諸段落」において具体的に想定されていたのは掲載された作品図版の作者たちの名前──ドナルド・ジャッドやロバート・モリスやカール・アンドレやジョー・バエーやダン・フレイヴィンなど──から見て取れるとおり方法論としては「コンセプチュアル」な側面があったとしても外観としては「ミニマル」すなわち三次元的な物体性を手放していない作品群だったが同時にルウィットはコンセプチュアル・アートにおいてアイディアが「数字や写真や言葉もしくは芸術家が選ぶ他の何らかの方法によって提示される」理論的な可能性についても明記していた。ヒューブラーたちの展開を近未来のコンセプチュアルな仕事としていわば予言していたのである。ここにおいて「芸術物体の脱物質化」は体裁としてルウィットの提唱した「コンセプチュアル・アート」に認証される。両者は一致してしまう。もともと方法論によって定義されていたはずのコンセプチュアル・アートが単なる様式へとすり替えられることで「規則への服従による主観性の回避」を経由せずに結果として「脱物質化された」だけの雑多な芸術による流入が許されていく。
そのようにして流れ込んだ代表例がジョセフ・コスースである。流れ込みではなく乗っ取りと呼ぶ方がより実状に近いかもしれない。その顛末に目を向ける前にあらためてルウィットが提唱したコンセプチュアル・アートの工程をまとめてみよう。ルウィットは「諸段落」から約1年半後すなわち「脱物質化」から約1年後に「コンセプチュアル・アートについての諸文」と名付けられた新しい声明を発表する*21。「諸段落」にはその執筆自体を通じて彼自身がコンセプチュアル・アートの理論や原則を確立していく過程が透けて見えるが「諸文」においてはそのとき示唆された内容がいくつかの新しい項目とともに35ヶ条の簡潔な文章として明瞭化されている。「諸段落」と「諸文」を統合したうえでルウィットがそこで明記あるいは示唆するコンセプチュアル・アートの典型的な制作過程を抽出すると次のような循環する5段階のチャートが浮上するはずである。参照対象として最もわかりやすいのは前述のヒューブラーの作品だろう。なお「知覚」とは通例的な語彙でいえば「鑑賞」を意味する。①着想:アイディアが着想者の精神において直観的に思い浮かべられる。②指示:着想をもとに(誰でも特別な技能なしに実行できて物理的にも実現できるような)行為の実施にあたっての諸規則が着想者によって取り決められる。③実行:指示された規則に機械的に従いながら実行者(原則として誰でもよいが実際は着想者本人が担うことが多い)によって一連の行為(しばしば制作と記録を兼ねるような)が成し遂げられる。④表明:実行によって生起した出来事の記録物が簡潔な作法で示される。⑤知覚:表明に接した知覚者の精神において実際の実行の状況が主観的に組み立て直される。さらに知覚者はときに知覚体験に触発されることで新たな着想者となる(①に戻る)。対してコスースが1969年10月に発表した論考「哲学のあとの芸術」*22で定義するところのコンセプチュアル・アートはルウィットのそれと同じ名称でありながら内実は驚くほど正反対である。その具体的な制作の工程は文中では明示されていないものの先ほどの5段階に則してコスース自身の仕事を分析すれば次のように整理できるだろう。ここでは実物の椅子が1脚とそれを撮影した写真が1枚と辞書の「椅子」の定義の箇所を拡大した図版1点で構成される彼の著名な作品《ひとつとみっつの椅子》を想定してほしい*23。①着想:アイディアが論理的な思考によって構築される。②指示:制作物の構成や展示方法が厳密に規定される。③実行:指示された内容が機械的に実行される。④表明:制作された物体が指示された作法において提示される。⑤知覚:表明を通じて着想者の意図が知覚者に伝達される(あるいは伝達されない)。どの段階においてもルウィットとコスースは対照的だがまずは③に目を向けてみよう。たしかにどちらにおいても実行者は「主観性を回避」して機械的に制作に臨むだろう。しかし主観性を回避しながら従う対象は──ふたたび野球に喩えるなら──ルウィットにおいてはルールのみだがコスースにおいては投げて打って走ることの内容すべてである。後者においては試合内容も試合結果も事前に決められている。しかし前者において試合結果は事前に決められていない。何が起こるか分からないのである。実際にルウィットは「諸文」の草稿において「コンセプチュアル・アートの作品の価値はその予測不可能性にある」と書いている*24(なぜか最終版では省かれてしまった。アイディアの実行過程においては事前に「想像できない」ところの「副次的な作用」が多く起こるという言及に留まっている)。この差異は「アイディア」とは何かという定義に由来するだろう。それは明らかにルウィットにとっては作者が直観的に思いつく(いわば作者に降りてくる)何らかの行為の計画を意味しているがコスースにとっては作者が論理的に考えて練り上げる理念や意図を意味している。前者は現実世界において実行されることで何らかの偶発的な出来事を生じさせる。最終的に表明されるのはそのドキュメンテーションである。後者は偶発的な出来事が生じることを許さない。物理的な形体で提示されるのは本人も「哲学のあとの芸術」において述べるとおり「芸術家の意図のプレゼンテーション」でしかない*25。あるいはイラストレーションという言い方も的確だろう。コスースによればコンセプチュアル・アート──彼いわく「より純粋なバージョン」としてのそれ──は「「芸術」という概念の基盤を問い直すもの」として定義されるという。つまり芸術家は個々の作品を通じて「この芸術作品は芸術である、すなわちこの芸術作品は芸術の定義である」と告げているらしい。ゆえに「ひとつの芸術作品とはひとつの同語反復である」ことになる。椅子に留まらず硝子板や箒や時計を使った「ひとつとみっつ」の連作はどれもまさしく同語反復的だがそこで反復されているのはあくまでも椅子や硝子板や箒や時計の定義であり「芸術」の定義であるとは僕には思えないのだがともかく注目すべきは同語反復的な構造の原理的な内閉性である。偶発的な成り行きを受け入れるルウィット的な開放性とはまさしく真逆なのだ*26。ルウィットの定義による──いやそもそも彼が命名者なのだから単に「本来的な」と言わねばならない──コンセプチュアル・アートとは本人による後年の言い方を借りるなら「作品制作の全過程において芸術家の偉大な感性が芸術を構成する」のではなく「作品の原点にある着想(もしかしたら直観)にこそ初源的な重要性」を見出す芸術である(先述のように着想時のアイディアそれ自体が重要だからこそ「作品は筋道を逸れることなく実施される」必要があるのだ)*27。つまるところルウィットの「コンセプチュアル」は「コンセプション(着想)」の形容詞形でありコスースのそれは「コンセプト(概念)」の形容詞形であると考えて差し支えないだろう*28。コスースの「哲学のあとの芸術」はルウィットの「コンセプチュアル・アートについての諸段落」から2年以上も遅れて発表されたものである。にも拘わらずコスースは同論考で自説を「より純粋なコンセプチュアル・アート」そして自身を「「コンセプチュアルな」という形容が最も適切であるような類の特定の芸術の初期からの提唱者のひとり」と呼んだ。実質的に自身をコンセプチュアル・アートの創始者として吹聴したのである。その根拠のひとつとしてコスースは1965年後半すなわちどんなコンセプチュアル・アートの作品よりも早い時期に《ひとつとみっつの椅子》のアイディアを着想したと主張した*29。当初から多くの反論が寄せられたようだが*30着想当時は若い学生であり十分な経済力がなかったことを言い訳に未制作を正当化しつつコンセプチュアル・アートにおいては結果としての物体ではなく着想されたアイディアそのものが作品なのだから着想した年は制作した年と等しいのだと主張することでコスースはその追求を退けてしまう*31。彼の仕事はどれも制作せずとも結果が見えているのだからアイディアそのものが作品であるという主張自体は理に適っている*32。しかしながら着想の時期などいくらでも詐称できるので端的に言って卑怯である*33。実際に《椅子》が構想された時期は不明だが「哲学のあとの芸術」の執筆中に創作された物語なのではないか。いずれにせよ少なくとも状況証拠から言えば実作された状態で初めて展示されたのは1970年7月にニューヨーク近代美術館で開催された「インフォメーション」展(ルウィットをはじめとして本稿で取り上げてきた芸術家の多くが参加していた)だった*34。アイディア自体が作品であるということは作品が完全に非物質的であることを論理的に意味する。それは「脱物質化」と親和的なのである。こうしてコスースはコンセプチュアル・アートの正当な創始者としての地位を実質的に強奪する*35。その証拠として一般的に《ひとつとみっつの椅子》こそがコンセプチュアル・アートという語と最も強く紐付けられているのが現状である。いまでもコンセプチュアル・アートには大きく分けてふたつの潮流──ルウィットの系統とコスースの系統──が錯綜的に混在している。本来なら単純だったはずのコンセプチュアル・アートはかくして難解な芸術として誤解されつづける。
ならば「芸術物体の脱物質化」に代わるどんな語句であればこうした混線を防ぐことができたのだろうか。どんな表現であれば本来的なコンセプチュアル・アートの同義語──結果としての形体すなわち様式ではなく制作の過程すなわち方法論に基づいた別名──として適格だったのだろうか。僕の結論は「芸術家の脱人物化[Depersonalization of the Artist]」である。結果としての作品において希薄化するのが物質性(マテリアリティ)だとすれば過程としての制作行為のさなかに希薄化するのは芸術家本人の人物性(パーソナリティ)なのだから。人物性とはある個別の人間に固有の精神的な質と肉体的な質の他の誰とも異なる独自の組み合わせのことである*36。作品の制作過程においてコンセプチュアル・アーティストはそうした質が発揮されることを徹底的に抑圧する。事前に決めた諸規則に「機械的に」「盲目的に」「論理的に」「絶対的に」*37従うとき彼らはみずからの精神の働きのみならず肉体の働きをも極限まで匿名化している。いわば自身を人物であるという事実性のみの次元すなわち人物格(パーソンフッド)として差し出すのだ。あるいは人類の一サンプルへと自身を還元するのだと言ってもいい。それこそが「事務作業員として機能する」ことの意味するところである。アレクサンダー・アルベロは1999年に発表された論考「コンセプチュアル・アートを再考する、1966~1977」においてルウィットの定義によるコンセプチュアル・アートの特徴を制作行為における「芸術家の脱中心化[decentering of the artist]」に見ている*38。このこと自体も僕の考えと共振するものだが(制作行為における芸術家本人の位置づけは芸術家が自身の存在に対して実行する操作の次元とは違うけれども)アルベロは「脱中心化」の効果として同論考のなかで一箇所だけ「作品の脱人物化[depersonalization of the work]」という表現を使っている。最初に目を留めたときは僕の考えとの字面的な一致に少なからぬ興奮を覚えたが「作品の」と「芸術家の」との違いはやはり無視できない。芸術家本人からではなくその作品から削減できるのはあくまでも人物性の「気配」でしかないと僕は考えるのだ。とはいえアルベロの議論は示唆に富んでいる。彼は「芸術家の脱中心化をその形体的かつ構成的な要素のうちに統合した」明白な作例としてヴィト・アコンチの《フォローイング・ピース》(1969年10月に実作)を挙げる*39。ニューヨーク市を舞台とした同作においてアコンチが自身に課した規則は以下のとおりだ。道行く人々からひとりを無作為に選んで背後から尾行する。ひたすらついていく。その人物が何らかの建物に足を踏み入れたところで追跡を終える。そしてまた別の人を見定めて尾行する。これをひたすら繰り返す。この行為においてアコンチという個人に特有の人物性は極限まで希薄化している。彼は自身が歩く方向や速度そして停止する地点を心のままに決める権利を持たない。彼は「別の(匿名の)人物の活動によって都市の路上を連れ回される」のであり「時間と空間の決定権を握っていない」のだ。追跡の対象者がどう動くのかは彼の制御の外にある。それは「機械的で理不尽な」過程である。そのとき芸術家の身体は規則と世界との媒介者として制作行為にひたすら奉仕するだけだ*40。こうした「脱人物化」──主観性の回避と他律的な動作への献身──は言うまでもなくルウィットの定義と合致した制作過程に取り組むコンセプチュアル・アーティストたちのすべてに共通する。それぞれに自身に課した規則に厳密に従うことでヒューブラーは六角形の頂点へと足を運んで写真を撮り河原は手仕事の痕跡を残さないように努めつつその日の日付をキャンバスに描きウェイナーは所定の寸法の正方形を展示室の壁面から削り取るだろう。そのとき彼らは事前にプログラムされた動作を現実に適用する役目を担っているのだ。
「芸術物体の脱物質化」ではなく「芸術家の脱人物化」がコンセプチュアル・アートの別名として定着していた世界線を想像してみる。そこではアルベロが「芸術家の脱中心化」の文脈において見直すべきと述べる「肉体をより強調化する方向へとコンセプチュアル・アートを進展させたバス・ヤン・アデルやエイドリアン・パイパーやクリストファー・ダルカンジェロやヴィト・アコンチといった芸術家たちの初期作品」がヒューブラーや河原やウェイナーの系譜と明確な連続性において繋げられているだろう。私たちの世界線において一般にはコンセプチュアル・アートの正典から除外されている芸術家たち──たとえばアグネス・ディーンズやザ・プレイや批評家ではなく芸術家としてのリパードなど*41──もその中心軸と紐付けられているだろう。そして自身の身長と同じ縦幅およびかつてのスタジオの扉と同じ横幅を持つ画布の左上から右下まで直近の作品で最後に描いた数字の次の数字から順番に0号の筆で描いていくことを1965年から2011年に亡くなるまで続けたローマン・オパルカ*42や50号の筆を使って30cmの間隔で単色の絵具を壁や画布にひたすら載せていくことを1967年から続けてきたニエル・トローニ*43らによる絵画としての物体性を高く保っているため「脱物質化された」とは言い難い実践もまた芸術家が人生が続く限りおのれの肉体を事前にみずから規定した規則による他律へと預ける所作としてコンセプチュアル・アートの核心と結ばれているだろう。河原もまたその文脈で再検討されているだろう。そして何よりもその世界線ではコスースによる乗っ取りも未遂あるいは失敗に終わっていたはずである。彼が主張する「コンセプチュアル・アート」は遅かれ早かれ単なる紛い物として片付けられていただろう。
こうして私たちは芸術家の身体を軸としたオルタナティヴなコンセプチュアル・アート史観に辿り着く。コンセプチュアル・アートとはいわば特異なパフォーマンスである。ローズリー・ゴールドバーグは「芸術家によってライヴで実施される芸術」という条件のみを満たすことがパフォーマンスの定義であると述べた*44。つまり観客も劇場も必須ではない(実際にいわゆる「パフォーマンス」の現場に行くと私たちには目もくれず行為に没入するパフォーマーの姿に出会うことが多い)。パフォーマンスは基本的に芸術家自身の肉体を使って為される。それは多くの場合において「生を主題として」おり「芸術を美術館や画廊の厳しい制約から外に出そうとする欲望」と結びついている。そしてそれはライヴゆえに事後的には「台本や文章や写真や現場で観た人たちによる記述」をもとに「想像において再構築するほかない」。ゴールドバーグが示すこれらの条件や傾向──生演性(パフォーマティヴィティ)と呼ぼう──とコンセプチュアル・アートの制作行為は見事に合致している。そこで芸術家たちは他ならぬおのれの肉体を使いながら多くの場合たったひとりで美術館でも劇場でもなく私たちが生きる通常の空間において何らかの行為を執り行う。そこに観客はいない。周囲に人々がいる場合でも彼らは制作行為が実行中であることに気づかないのだから(街角を撮影するヒューブラーを観ても人々はそれが芸術的な所作だとは思わないだろう)。コンセプチュアル・アーティストは孤立するのだ。このことをマイケル・フリードがいわゆるミニマル・アート(彼はそれをリテラリズムと呼んだが)について指摘した問題と比較しても無意味ではないだろう。『アートフォーラム』1967年夏号──奇しくもルウィットによる「諸段落」が掲載された号である──で発表された論考「芸術と物体格」においてフリードはミニマル・アートの作品の物体格(オブジェクトフッド)について批判的に考察している*45。ジャッドやロバート・モリスらの作品はジャッド自身が1966年に発表した論考「特種な物体」で論じるとおり伝統的な絵画や彫刻のような諸部分による構成も表面上の空間的な深みも擁しない「ある単一の事物」それ自体でしかないところの単なる「物体」に到達することを目指した*46。ならばフリードが言うように彼らの作品はこの世界に無数に存在するあらゆる物体と同じようにそれが置かれた状況──展示空間 ──において周囲を行き交う人々──観客──と「オープンエンドな」相互関係を取り結ぶだろう。それは時間という「終わりのない、あるいは不定的な持続」とともに絶え間なく変化していく。そのとき展覧会場はシアターと化すのだ。翻ってフォーマリズムの作品たとえばアンソニー・カロの彫刻は「あらゆる瞬間においてその全体性を表明する」ものである。その「途切れることのない完全な現在性」を擁護してミニマル・アートを攻撃するためにフリードは後者の作品が帯びる関係的な特性を「演劇性(シアトリカリティ)」と呼んだ。ならば次のように言えるはずだ。ミニマルな芸術作品の本質が展示空間におけるその物体格の演劇性にあるのだとすればコンセプチュアルな芸術家の本質は制作過程におけるその人物格の生演性にあるだろう。
それにしてもコンセプチュアル・アートはなぜ「規則への服従による主観性の回避と他律的な動作への献身」すなわち「芸術家の脱人物化」という特異な「生演性」を導入したのだろうか。ルウィットにとってそれは何よりも「アイディアの十全な探求」を実現するため──着想の時点でアイディアに孕まれている可能性を「弱体化」しないため──だった。ではアイディアに孕まれる可能性とは何のことだろうか。それは芸術家が「直観によって発見」した素朴な思いつきを現実において実行したときに「世界」がどのような応答を見せるのかという偶発性の幅のことだろう。「直観」は「思考」と異なる。直観とはいわば世界との交感であり世界からの受信である。ならばコンセプチュアル・アートにおける実行とは世界から投げかけられたものを世界へと投げ返すことに他ならないだろう。ヒューブラーが六角形の頂点において撮影した情景も河原の日付絵画が獲得した絵肌の表情やその箱に貼り付けられた新聞記事の内容や構成もウェイナーが削り取った壁面の凹凸や床に吹き付けた塗料の滴りも特定の時間と特定の空間において彼らにとって制御不能な次元において偶発的に生じた状況である。二度と起こらない奇跡である。コンセプチュアル・アートにおいて作品は「芸術家の偉大な感性」や「職人としての技能」ではなく世界の豊かさによってこそ形づくられる。芸術家は規則を滞りなく現実に適用させたうえでどんな成り行きになろうともそのすべてを受け入れる。規則が履行されている限りそこには失敗も成功もない。世界はどこまでも果てしなく豊かなのだから。コスース版のコンセプチュアル・アートでは芸術家自身の「意図」が図解されたが本来的なコンセプチュアル・アートでは世界自体の「意図」が表現されるのだとも言えるだろう。芸術家ではなく世界それ自体が表現の主体となる。芸術家の身体は世界から応答を引き出すための触媒に過ぎない。あるいは世界が「自己表現」のために使う媒体に過ぎない。芸術家というひとりの人物の貧しい「主観性」によって占められていた場所を世界の豊かな「主観性」へと明け渡すためにこそ「脱人物化」は実践されるのだ*47。ならばこそルウィットは先の一文を「諸文」に残しておくべきだったのだ。まさに「コンセプチュアル・アートの作品の価値はその予測不可能性にある」のだから。
「規則への服従による主観性の回避と他律的な動作への献身」すなわち「芸術家の脱人物化」によって「世界の自己表現」をもたらす「生演性」にこそコンセプチュアル・アートの核心はあった。それは私たちの世界線においてはほとんど忘れ去られた系譜である。願わくば本稿が彼方の世界線で脈打つその系譜を此方の世界線へと移設することに僅かでも寄与するものであってほしい。未来こそを書き換えるために。