鑑賞者について:破

長谷川 新

誰かが開けた扉、閉まらぬそのうちに通り抜ける

Mr.Children「羊、吠える」(2007年)

私は土木学者ではありませぬけれども、土木事業を見ることが非常に好きでございます。一つの土木事業を遺すことは、実にわれわれにとっても快楽であるし、また永遠の喜びと富とを後世に遺すことではないかと思います。

内村鑑三『後世への最大遺物』(1894年の講演、引用は青空文庫より)


何年か前、まだ僕が関東に住んでいなかったとき、たまたま同じタイミングで東京に来ていた友人と聖徳記念絵画館に行ったことがあった。なんで行こうとしたのか全く思い出せないのだが、誰かに勧められでもしたんだろうと思う。そこは東京で一番重力を感じることのできる美術館であり1、展示されている絵画も興味深い、のだが、別の角度からも書くと、明治神宮による運営の美術館で、大衆の浄銭が不思議な迂回をして美術館を支えている。MoMAやメトロポリタン美術館とは公共性のニュアンスが全くちがうのだ。でもそれは今回は措いておこう。友人とあーだこーだ話しながら展示を観て帰ろうとすると、受付のお姉さんに声をかけられた。 「早かったですね」


僕は後にも先にも美術館の受付の人に早かったですねと言われるのはこの鑑賞だけだろうと思うし、そう願う。怖かった。そんな強烈な印象を僕に残した聖徳記念絵画館に、2021年の年末に別の友人とやってきた。運悪く定休日の水曜日に鉢合わせて中に入ることが叶わなかったので、美術館の周りを散策しつつあーだこーだ言っていた。再訪時に気づいたのだが、屋外の掲示物に「平均的な拝観時間は30分〜40分です」と書かれていた【写真1】。前回はきっとそれより短い滞在だったのだろう。ところでこの掲示物はA0サイズくらいの一枚の紙であり、つぎはぎはなく、しかもこのデカさなのにラミネートされている。聖徳記念絵画館の中の人は、自分たちでWordをなんとか駆使し、いらすとやのイラストを(展示されている絵画の写真を組み込むことで独自に改変しつつ【写真2】)使用しながら作成したのちに、分割プリントにはせず、印刷とラミネートをわざわざ外注したのだろうか、でもそれをテープでベタバリしたんだ、などと考えると色々と感慨深い。著作権の理解の浸透と、著作権フリー素材の浸透は常に同時進行であるが、それは「当代一の画家たち」の作品が並ぶ聖徳記念絵画館であっても無縁ではない。

写真1

写真

美術館前の通りでは、スケートボードの練習をする人、競歩の練習をする人、通行止めの立て看板をネットに見立ててテニスをする人、犬の散歩をする人など、使いこまれているなあという感じがあった。ちょっと先にアイススケート場があるのだが、そこの入口の床面にスケートのジャンプの軌跡が啓蒙的な意味を込めて彫り刻まれているのと好対照かもしれない。通りの角には黒いアスファルトが剥き出しになった奇妙な区画があり【写真3】【写真4】、僕は小走りで駆け寄った。今日の本題である。

写真

写真

1926年、日本最初期のアスファルトだった。秋田産のアスファルト、とある(この手の建造物には必ず原材料産出都道府県が書いてあるのだ)。90年以上前のアスファルトをなんとか残すために、新宿区は土木学会や東京都と協議し、さまざまな経済的、政治的力学のなかで、かろうじてアスファルトを守ることに成功していた。周囲の敷き詰められたブロックも、復元可能な処置なのだろう。圧倒的な撤退戦であり、慎ましい攻防である。何より僕が感銘を受けたのは、この2㎡ほどの区画を「展示スペース」と呼んでいることであった【写真5】。だからこれは展覧会である。巨大な行政組織に対して、通りを行き交う人々に対して、歴史と天皇制と絵画の美術館に対しての、なんというキュレーションだろう。僕と友人はしばらく呆然として突っ立っていた。2021年に僕がとても励まされた展覧会に佐々木健さんの「合流点」があるのだが、その展覧会で示されている、これまで佐々木さんの家族の面々が必要に迫られて培ってきたさまざまな「ケア-キュレーション」技術と、この道路の堅守において必要に迫られて培われた「土木-キュレーション」技術は、僕のなかで大切なセーブポイントとなるだろうと思う。キュレーションは、現状に対しての説明とか言い訳のために使うんじゃないんだよ。

写真

「土木-キュレーション」と書いた。これは唐突に思いついて書いたのではなく、自分のなかで何年も前から考えている概念-技術である。思わせぶりな文章ばかり書いてしまう自分が100%悪いのだが、例えば2017年から2018年にかけてやった「不純物と免疫」展2は、ランドアートという美術史的なジャンルを土木事業もろとも練り直して別の体系、別の遠近法を備えることがベースにあった3。元来、ランドアートと類して語られるアースワークも辞書的な意味は「土工」である(earthwork materialで土工資材だ)。たとえば明治期に日本に輸入され誤訳されたという「美術」概念も、土木事業が常にその事前段階に存在していることを忘れることで議論が可能になっている気がする。つまり、道路や路線の整備と地域の芸術祭、都市開発とパブリックアート、美術館建設と反芸術、空港やダムの開発とルポルタージュ絵画、開拓と記録芸術、と言ったような。僕は「建築」や「都市」について考えるのがとても不得手なのだが、「展覧会」や「土木」であれば思考を止めずにいられる。なぜだろう。

高松の石工たちの山で、ベルギーの作家が考案したパラシュート状のテントを立てるプロジェクトをやっていた。初夏には動き出していたんだけどとても難航して、すべてのボタンがかけちがっているような絶望的な気分に何度も襲われる。もらった図面では情報を補わないといけなくて、鉄工所の人に聞かれたことを確認するために山に行かないといけないけれどコロナの状況がとても悪くて見にいけず、理詰めで考えるぞと大学受験ぶりに三角関数を使い、高松工芸高校の美術の先生や庵治町の大工さんに助けてもらいながら、半泣きで作業を進めていると、ベルギーの作家は「応援で設営チームのみんなの絵を描くわ!」と言う。うるせえ今ロープの直径を6mmにするか4mmにするかで悩んでるんだよ!──でもそうしたギリギリのなか、こんなのほぼできないだろうという状況で、ギリギリなんとかできるかもしれないととりあえず進めてみることの中に自分の仕事が全部ある気がしている。全てが不安定で、放出される力のベクトルがそれぞれ違っていて、他人の気持ちは最終的には決してわからないけれど、少しずつモノだけは組み上がっていく。ギリギリ。かろうじて。そういうリアリズム。悔しいのだけど、ベルギーで次々描かれていく僕らの似顔絵や設営の風景画は、なんとも言えず良かった。労働が絵画になる。こうやって還されるのは初めてだな、と思った。その後、なぜかテント設営の様子はベルギーのテレビで放送された4

こんな話を「鑑賞者について」というタイトルで書いている理由は僕自身も今ははっきり言えない。多分これは「取り返しがつかないこと」と「繰り返すこと」の範囲規定の話だと思う。全然わからんよね、僕もまだ全然わかってない。でもなんか掴めそうな気もしてるん。竹内くんには毎回待たせて悪いけれど、続きを書けるといいなあ。





1 次点は相田みつを美術館。
2 http://impurityimmunity.jp/

3 配布リーフレットの隠しページに書いていたのだった。。。http://impurityimmunity.jp/accessory/file/impurity_immunity_1.pdf
4 指名手配犯のようだ。。。https://www.tvl.be/nieuws/gert-robijns-krijgt-prestigieuze-expo-in-japan-131612?fbclid=IwAR3NgjySUEgSWrHCxsl4ZxdL7XFlbeWb4sQKXTQmLH0aQfRqsf9isoEzcss