可傷的な共同体

田中 功起

在日コリアンについて書こうと思う。

しかし日本でのマジョリティである日本人のぼくが(それに男性だ)、日本でのエスニック・マイノリティである在日コリアンについて書く、というのはいささか居心地が悪いと思われるかもしれない。もちろんそうだ。だからここでは、さまざまな迂回路を示すことで、その居心地の悪さにも応えていこうと思う。個別具体的な問題に立ち入らず、抽象性を担保して書いてみようと思う。

このテキストでは、ぼく自身について書くときは「ぼく」を使う。そして広く一般について書くときには「私たち」を使う。これは英語などに翻訳されたときに反映されない日本語特有の表現だけれども、「ぼく」は男性が使用することが多く、「私」は女性が使用したり中性的な表現を求めるときに使用される。そのため「私たち」は、私たちを表すときに「ぼくたち」よりも、よりジェンダーに寄らない表現になると思う。

ぼくが、こうした前提となるレトリックについての説明をテキストの冒頭に置くことはあまりない。なぜならそれは読者にテキストとの距離を感じさせてしまうからだ。今回は違う。むしろその距離感こそがキーになると思う。

まず最初に以下の問いを掲げておく。

可傷性は分有できるのだろうか。

こう言い直すこともできる。

他者の痛みを、自分のものとして引き受けることなんてできるのだろうか。

日常的な場面を想定してみる。

育児をしているひとにとって、この問いはあたり前のものかもしれない。慌てて走ってきた子どもが目の前で転んだとき、ひどく打ちつけた手や足を触りながら「イタイ、イタイ」と訴えてくる。親であるぼくはその痛みを分かち合いたいと思う。いったい彼女はどの程度の痛みをぼくに主張しているのだろう。もしや気を引こうとした演技なのだろうか(そういうときもある)。

もちろんしかし他者の感覚は共有することができない。ぼくにできることは/私たちにできることは、同情(Sympathy)や共感(Empathy)でもって想像的に相手の痛みを理解することでしかない。自他の絶対的な距離がここにある。これが出発点だ。それでもなお、自他の境界を越えてだれかの痛みを分有しようとするとき、私たちはなにを頼りにすればいいのだろうか。

この短いテキストはそうした分有不可能な他者の痛みをめぐって書かれる。それは共同体について、あるいは他者の声を聞くこと、災害や不安定な生について考えることへと繋がっていく。

内と外を分けること、語る資格がないこと

「共同体」と聞いてあなたが思い浮かべるものはなんだろうか。人びとが互いにいたわり合い、助け合うような理想的なものだろうか。相互監視や同調圧力が強い逃げ場のないものだろうか。いずれの場合にも、「共同体」とはだれがそこに所属し、だれがそこに所属しないか、内と外を分ける境界線に関わるものだ。

国家という単位ではその境界線がより明白なものになる。

あなたには選挙権があるだろうか。パスポートはどの国のものだろうか。選挙が近づくと「国民のみなさまにー」という言葉をよく聞く。以前は「国民」という言葉に違和感がなかった。いまは違う。「国民」というメンバーシップが示す範囲はどこまでだろうか、と常に考えてしまう。日本で生まれ、日本語を母語として育ったとしても、在日外国人には選挙権がない。以下に書くように、在日コリアンのように、どのような歴史背景がそこにあるにせよ、内と外の境界線は国家の都合でその都度引き直されてきた。

社会学者ハン・トンヒョンは(狭義の)在日コリアンを「日本による朝鮮の植民地支配の結果として日本に移住することになった朝鮮人とその子孫」(★1)と説明した。ハンさんは《可傷的な歴史(ロード・ムービー)》(2018)のなかでレクチャラ—として在日コリアンの歴史と日本におけるレイシズムの関係について話している。ここで参照するのはそのときに使われたレクチャー台本だ。

「日韓併合の前年である1909年、日本にいた朝鮮人は790人だったが、1945年の日本敗戦時には、当時の朝鮮人全体のおよそ10人に1人にあたる230万人以上になっていた。前半は、植民地支配のために朝鮮での生活が困難になり生活できる場所を探して流れてきた人が多かった。後半になると、戦争が激化するなかで不足した労働力を補うために強制的、半強制的に動員されるケースが増えた。

1945年8月の日本敗戦・朝鮮解放後、その多くが帰国するが、本国の政情不安や生活の基盤をすでに日本に築いていたことなどにより、帰国を見合わせた人も少なくなかった。1947年の段階でそれは約50〜60万人ほどだったが、1950年の朝鮮戦争勃発により帰国の道がさらに遠のく。これが在日コリアンのルーツだ。」(★2)

植民地支配によって一度は日本国籍を持った朝鮮半島出身者たちは、戦後、「日本国籍喪失を一方的に通達」される。そして、朝鮮半島が朝鮮戦争によって南北に分断されたことによって、帰るべき国を失ってしまう。それによって日本では「朝鮮」籍という名目のまま、いわば「無国籍状態」の「外国人」という立場に据え置かれることになる。どこまでが「内/国民」でどこからが「外/外国人」か。日本における「国民」というメンバーシップは上記のような不条理な歴史の上に成り立っている。

コロナ禍は内外の境界線を強固にした。

パンデミックがはじまった2020年から2021年11月現在まで、グローバルな旅は困難を伴う。それまでなかば自由に行き来していると思っていた人々は——そこにはぼくも含まれる——、それぞれの国の感染状況によって出入国のハードルの高さを知る。ワクチン接種が条件なのはまだいいにいしても、入国/出国に際して一定の隔離期間を設けている国も多い。世界はグローバルなコミュニティであることをやめ、国々は国境を閉ざし、自国(民)だけを感染から守ろうとする。

ジグムント・バウマンは「コミュニティ」を自由と安心の観点から描写する(★3)。これはまさに、コロナ禍のなかで私たちが経験していることだ。「グローバル・エリート」としての富裕層がよそ者を排除し、監視システムに法外な費用を払い安心を買う、いわゆるゲーテット・コミュ二ティについて書かれているが、いまの私たちはそれを笑うことができない。

パンデミックという危機に際して、私たちは、内に閉じこもり、部屋に鍵をかける選択をした。「共同体」は、その意味で、メンバーが安心を確保するためのエゴイスティックなものであると、この社会が証明してしまった。

連帯や協働の可能性は、もう忘れられてしまったのだろうか。

内と外についての話は、当事者性の強い問題について非当事者に語る資格があるのか、という問いに繋がる。当事者は、語りの「共同体」の内側にいて、非当事者はその「共同体」の外にいる、と前提される。

でもこれはほんとうにそうだろうか。非当事者が語るためにはどうすればいいのか。

3.11の震災とそれに伴う原発事故は、日本社会を大きく揺さぶった。

レベッカ・ソルニットは災害後に生じる人びとが助け合う共同体を「災害ユートピア」と名づけた(★4)。災害ユートピアは、3.11の震災後にも生じた。東京という都市部でさえ、見知らぬ人同士が助け合い、一時的な避難所としてギャラリー空間が開放されたり、コンビニは食べ物や飲み物を無償で配った。

考えればあたり前かもしれないけど、その非日常空間は長続きしなかった。助け合いは持続せず、私たちはその後、むしろ分断した。人びとは、互いの災害経験の違いをもとに線引きをし、だれが当事者として震災について語る資格があり、だれに語る資格がないのかを決め、糾弾しあった。SNSなどを中心に多くの炎上があり、人びとはいつしか震災について語ることに疲れてしまったように思う。

私たちに必要だったのは、語る資格ではなく、共に語るための土台だったはずなのに。

出来事の経験を差異による分断ではなく、差異の分有によって理解し合うことはできなかったのだろうか。なにが私たちに足りなかったのだろう。

複数の声/可傷的な歴史

在日コリアンに対するレイシズムをあつかった《可傷的な歴史(ロード・ムービー)》は複数の映像によるインスタレーション(2018年)と、それらの映像をひとつにまとめた映画版(2019年)がある。いずれも、1923年の関東大震災後の朝鮮人虐殺と2000年代の川崎などでのヘイトスピーチを繋ぐ縦軸としての差別の歴史と、横軸として、主人公のひとりである優希(ウヒ)さんのアイデンティティをめぐる個人史が交差するような構成になっている。さまざまな語り——レクチャーやインタビュー、対話が中心の映像たち——に展示空間、あるいは映画館のなかで、観客は出会うことになる。

映像は、日系アメリカ人のルーツを持つスイス人のクリスチャンが、在日コリアンである優希(ウヒ)さんを東京に訪ねるという緩やかなストーリーにそって進行する。

先ほど言及した社会学者ハン・トンヒョンによる在日コリアンをめぐる歴史についてのレクチャー(社会学者の語り)があり、一方で市民グループ「ほうせんか」の西崎雅夫による関東大震災後の朝鮮人虐殺をめぐるインタビュー(活動家の語り)がある。その合間に二人は人権関連の法律や判決文(法律の言葉)を読み上げる。これは社会学者明戸隆浩に選んでもらった。英語という二人にとっての第二外国語を使った対話の中には、在日コリアン・コミュニティの中でのアイデンティティ・クライシス(個人の声)について、ヨーロッパでのレイシズムの現状(他者の声)について、あるいはクリスチャンによるアイデンティティについての無頓着なあり方も語られる。社会学の語り、活動家の語り、法律の言葉、個人の語り、他者の語り、加えて二人の家族についての物語がもうひとつ別のレイヤーを与える。

クリスチャンというヨーロッパからの他者が、優希さんを通して在日コリアンの物語に出会っていくのだけれども、同時にこの映像を見る観客も、クリスチャンと同じように複数のレイヤーに分かれた声たちを聞くことになる。このプロジェクトの目的は、言ってみれば、当事者性の強い問題のなかにある複雑さを、それを知らない非当事者がどうやって受け入れていくのか、そのための素地を作ることにある。

私たちは、だれかの語りを聞くことでしか他者理解を深めることはできない。まずは聞くことから始まると思う。

あなたはそれでも、これは自分とは関係がないと言うかもしれない。あるいはむしろこう言うかもしれない。私にはわかりきったことだ、私は差別をしない。きっとそうなのだろう。しかし私たちはほんとうにその問題を理解できているのだろうか。これはぼく自身への問いでもある。ぼくはほんとうにそう言えるだろうか。

ここでも私たちは、自他の境界線を引き、内と外を決める。渦中にいるひとは、自分がその問題を理解できている、とは言わない。理解するという態度は問題からの距離があるからできる。

再び問いに戻る。

私たちは、その自他の境界を越えて、だれかの可傷性を分有することはできないのだろうか。

アルフォンソ・リンギスは他者に曝されることを共同体の体験の始まりに置く。

「会話を交わすということは、異邦人とバリ島人に、アステカ族に、犠牲になった人びとと排除された人びとに、パレスチナ人とクチュア族とクロー・インディアンに、夢見る人、神秘家、狂人、拷問を受けている人びとに、そして鳥とカエルに、自分を曝すために、雑音、干渉、既得権、そしていつも盗み聞きしているビック・ブラザーと小さなヒトラーたちと闘うことである」(★5)

南インドで、何日もうなされた熱の混濁のなかで目覚めたリンギスはふらふらと小屋を出た先にある砂浜でひとりの男に会う。互いが互いの言葉を理解できないまま、しかし男は、近くの漁師から借り受けたカヌーに病気のリンギスを乗せ、漁港まで連れて行く。そして街に向かうバスにリンギスを乗せたところで、男は去っていく。リンギスはその男(もう二度と会うことはないだろう名前も知らない男)との関係のなかに信頼のようなものを強く感じる。

自分がその相手と共有すべきものがなにもない状態で(制度も、ものの見方も、言語も、国も、民族も、なにも)、それでもその相手に対峙するしかないとき(そんな状況はめったにないだろうけど)、あなたは相手にその身を曝すことになる。

ぼくは大学生のころ、はじめてのニューヨークで黒人青年に絡まれたことがある。交差点で、ふとした拍子に肩がぶつかって彼がもっていたサングラスが道に落ちて壊れた(いま思えばそれはすでに壊れていた)。それを弁償しろ、というのだ。ぼくは到着して間もなくでまだ右も左もわからず、現金を持ち歩いていなかった。ATMなどで現金を引き出せば払えると話すと、近くにキオスクがあると言う。ぼくらはそのまま歩いて会話をする。そこでぼくは自分がなぜニューヨークに来たのか、自分がアートをやっていること、夢について話した。彼もそれにつられて自分のMBAの夢について語り出す。ATMでの引き出しはぼくのカードが対応してなくてできず、弁償はうやむやになる。しかし、ぼくらはそれでも会話をつづけた。そしてなぜかお互いを励まし合って分かれた。ぼくの英語力はそうとうひどかったと思うから、何も伝わっていなかったかもしれない。

もちろんここでは英語を介しての対話だからリンギスの体験とは異なる。彼はぼくを助けてくれたわけではない。それでも彼との対話は、ぼくにとってある種の通過儀礼のようなものになり、自分がその街に受け入れられたという感覚を抱くきっかけになる。金を巻き上げてやろうと思っていた相手はいつしかその目的がどうでもよくなり、自他の境界が壊れ、互いの人生を励まし合うことになった。ぼくは今でもあのときのことを思い出す。対話は、結果として相手に自らを曝すことである。彼は貧困や犯罪から脱することができただろうか。

何が分有のためのファンデーションとなるのか

さまざまな出自、状況に所属する、あるいは巻き込まれている私たちが共にいるためには、何が必用だろうか。

ジュディス・バトラーは『アセンブリ』のなかで、可傷性と不安定性を共同体の基礎に据えられると言う。

「(...)可傷性とは前もって予見、予測、あるいは管理できないもののある次元を意味する。それは、偶然あなたと同じバスに乗った誰かによってあなたにもたらされた、横道に逸れたコメントでありうるし、友情の突然の喪失、あるいは爆撃によるある生の突然の抹消でありうる。これらは同じものではないが、起きることに開かれた者として、私たちは恐らく、何が起きるのかを必ずしも前もって知ることができないとき、起きることに対して可傷的だと言うことができるだろう。(...)」(★6)

私たちは自分の生に何が起きるのかを予測できない。突然、病気になるかもしれないし、身内が亡くなるかもしれないし、収入が激減するかもしれない。予測不能な生を生きる私たちは、みな可傷的である。

いや、むしろそもそも私たちは可傷性を持って生まれてきたというべきかもしれない。「身体は何よりもまず依存、依存的存在という条件下で社会的生へと参入する」。生まれた瞬間の泣き声もその動きも「生き延びるための変化する一連の条件に応答している」(★7)。ひとりでどこからともなく生がはじまるわけではない。すべてのひとが(生物学的な)母親から生まれ、その後、自身の親(もしくは他のだれか)のケアがないと生きることができない。だれかに教わる前から、乳幼児は生存の条件への応答として泣き叫ぶ。自身の身体的欲求、生きるという欲求を満たすためにはそこにいるだれかに依存するしかない。そのための方法は泣くことだ。

生まれながらに可傷的である私たちは、だれかの生に依存することではじめて生きることができる。それは乳幼児や高齢者だけではなく、日常的に介護を必要とするひとにも言えるだろう。そしてコロナ禍を経験した私たちは、この社会がエッセンシャル・ワーカーによって支えられていたということを思い出すはずだ。配送業や清掃業、スーパーマーケットでの店員やケア労働者によってこの社会は回っている。

そしてバトラーは、可傷的な依存する生が一方の側にあるのではないと、ケア労働者にも目を向ける。それは「ケアする/される」という内と外の境界線を壊していくことでもあると思う。

「ケア従事者は他者に対して支援を提供するだけでなく、自分自身の支援=維持の諸条件(それが意味しているのは労働、休息、報酬、住居、健康管理の生存可能な諸条件である)を必要としている。生の最も可傷的な瞬間にとっての支援の諸条件は、それ自体が可傷的である。」(★8)

ケアする者もケアされる者も相互依存の可傷的な、身体をもつ/生がある。すべての個人が可傷的であるし、この社会も可傷的だと、さらに拡張できるだろう。

可傷性とともに、不安定性も拡張される。「不安定さ」というタームは、イタリアにおける労働理論のなかで発展してきた。バトラーはそれを拡大して適応する。だれが、なにが不安定なのか。「女性、クィア、トランスジェンダーの人々、貧者、身体障害者、無国籍者、また宗教的、人種的マイノリティ」(★9)という、「社会的、経済的条件」すべてにおいて私たちは不安定である。バトラーはこの拡大された「不安定さ」を連帯の基礎におこうとする。

バトラーが指し示す連帯の可能性は、可傷性と不安定さをもつ私たちすべてを包みこむだろう。(★10)

偶然 


「集会(アセンブリ)において私たちは他者に依存して存在するが、バトラーは、その他者が意図的な合意によって選ばれたわけではないこと、つまりその予測不可能な性格を強調している。この相互依存における(潜在的な)ズレ、バトラーはこのような関係性にこそ連帯の可能性をみようとしている。」(★11)

なにかをだれかと共有するための場として、つまり公共性について、ぼくは、人びとが広場やカフェに集まって自由な議論を行うというイメージがあった。そう、これはいわゆるヨーロッパにおける公共のイメージだ。でもそれは間違っていたと思う。そもそも日本には人びとが集まるべき広場がない。仮に集まれたとして同調圧力に満ちた日本社会においては自由な議論もできない。考えるべきはまったく別の集まり方、まったく異なる対話の仕方が必要だったのだと思う。

ヒントがここにあると思う。

東浩紀は近年、訂正可能性をベースにした連帯のあり方を模索している(★12)。それは簡単に言ってしまえば、新しい偶然の出会いによって共同体のあり方が変化していくような、常にその共同体が再定義されるようなあり方である。すでになにかしらの集まりがあるとして、そこにやってきただれかが新しい別のことをもたらす。それによって集まりの存在意義が「訂正」される可能性があること。そうやって共同体が開かれていくこと。共同体という、そもそも内外の境界線をもつ閉じたものが、それでも開かれていく可能性があるとすれば事後的な「訂正可能性」にあると、東はそう提案する。

バトラーが書く「集会/アセンブリ」に現れる予測不可能な他者と、東の書く「訂正可能」な連帯のあり方には、共に偶然についての志向があると思う。連帯が持続すれば共同体となる。そのなかで自縄自縛してくのではなく刷新していくためには偶然の出会いが必要だと書けば、そんなのあたり前とあなたはいうだろうか。

在日コリアンについて書くために、このテキストは共同体から書きはじめた。共同体は内と外の境界線を分けると書いた。可傷性や不安定性はその「内」の範囲を拡大させる。出自によるアイデンティティだけでなく、私たちそれぞれの置かれている状況、そして身体そのものに依拠することで分有できる共通点が増える。そして予測不可能な他者の出現によってそのときどきに訂正される共同体のあり方は、内と外の境界線を変化させつづけるだろう。「日本人」と「外国人」を強固に分ける感性を変えるためには「内」の範囲を変化させ、境界線を揺るがす必要がある。

自他の距離は埋められない。けれども、感性は変わる。

さて、私たちは、こうして揃った材料を使ってどのように別の共同体を、別の連帯を築くことができるだろうか。そもそもその可能性はまだ残っているだろうか。

★1 ハン・トンヒョン​​「在日コリアンと日本のレイシズム」『Vulnerable histories (An Archive)』 JRP|Ringier、Migros Museum für Gegenwartskunst、2018年。ただし掲載は英訳なので日本語原文を使用した。★2 同上★3 ジグムント・バウマン『コミュニティ 安全と自由の戦場』ちくま学芸文庫、2017年★4 レベッカ・ソルニット『災害ユートピア——なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』亜紀書房、2010年★5 アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』洛北出版、2006年、120頁​​★6 ジュディス・バトラー『アセンブリ』青土社、2018年、193頁★7 同上、171頁★8 同上、171頁★9 同上、77頁★10 不安定性の拡張に対する以下の批判も書き留めておきたい。「私たちは格差を伴って「不安定性」を割り当てられています。こうしたなかで、不安定な生を生きる者たちが、見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じることを自ら選択しているとしたらどうでしょうか。(中略)「不安定性」というあなたの概念が、逆に強固なアイデンティティ論争の源と化し、それによって人々が分断/断絶していく原動力として機能してしまうとしたらどうでしょうか。不安定性からなる連帯が嫉妬、愛国主義、レイシズムといった負のスパイラルに陥り、それを加速させてしまっているとしたらどうでしょうか。」清水知子「『現れの政治』が『忘却の穴』に突き落とされる前に考えるべき三つのこと」『現代思想総特集=ジュディス・バトラー』2019年3月臨時増刊号、青土社、2019年(kindle)★11 山本圭「とりあえず連帯すること ジュディス・バトラーの民主主義論」『現代思想 総特集=ジュディス・バトラー』2019年3月臨時増刊号、青土社、2019年(kindle)★12 東浩紀「訂正可能性の哲学、あるいは新しい公共性について」『ゲンロン12』株式会社ゲンロン、2021年