アーティスト・イン・レジデンスのジレンマ

慶野 結香

 表現活動に関わる者が一定期間ある場所に滞在し、リサーチや作品制作などの創造的活動を行うアーティスト・イン・レジデンス(AIR)事業。これまで私は、美術大学におけるアーティスト滞在施設の立ち上げ、およびパイロットプロジェクトとしてのAIRプログラムの試行(2015〜2016年)に関わり、現在はアーティストの滞在制作を目的として設立され、まもなく20周年を迎えるアートセンターに勤務している(2019年〜)のだが、基本的には展覧会というメディアに興味があり、それに至るプロセスを重視しながら企画する中で、AIRと深く関わるようになった。美術館やアートセンターといったインスティテューションが、ただアーティスト(や作品)を招くだけではなく、構想段階からリサーチ、制作、発表まで可能な限り協働すること。アーティストにとっては拠点と異なる環境であるが、彼らの創作活動や生活の一端を目の当たりにし、場を共有しながら理解を深めること。そうしたことを実現できる手段として滞在制作、そしてAIRのしくみがあったのだった。
 そもそもAIRそのものは、いくつもの論文や記事に書かれている
1ように、優れたアーティストに通常と異なる文化や環境に一定期間身を置く機会を提供することによって、創作活動の新たな展開を切りひらいたり、拠点で活動するだけでは得られないネットワークを形成するといった、アーティスト支援の要素が強いものだ。今回は、自分自身が関わってきたアーティストの滞在制作やAIRの取り組みについて振り返りながら、日本におけるAIRの現状の一端について考えてみたい。しかしそれは、アーティストに機会を提供しながらも、目に見える成果や地域に対する効果を期待してしまいがちになる運営側のジレンマや、昨今の新型コロナウイルス感染症の流行で移動が困難な中、それでもAIRを続けるという葛藤のあるものになるだろう。

 2014年〜2016年の2年半、私は秋田にいた。助手として勤務していた秋田公立美術大学は、短大から4年制大学に移行したばかりで、工芸やデザイン系に強かった短大時代の組織や設備を引き継ぎながら、現代美術の様々なジャンルで活動するアーティストを教員として新たに起用し、地域のリサーチや領域横断的なアプローチを通した美術教育を行おうとしていた。しかし当時、県内に恒常的に現代美術の作品を観ることができる美術館やギャラリーは少なく、学生が教員以外のアーティストの姿に触れたり、制作や設営の現場を体験したりする機会はほぼなかった。そのうち地元企業の協力を得て、社屋の一角に美大専用スペースとしてホワイトキューブのギャラリーが誕生した。このギャラリーでゲストアーティストによる展覧会を行うことと、学生や地域住民を巻き込みながらリサーチや制作を行い、同時代の表現に対する理解を深めてもらうことを目的に、レジデンスを整備する流れが発生した。
 滞在拠点となる物件を探しながら、試験的なプログラムであることを前提に来てもらった安西剛の滞在制作では、大学近くのウィークリーマンションを約1ヶ月間契約し、自転車で大学に通ってもらった。専用の制作スタジオもないなかで、安西は学内のフリースペースに

居場所を見つけ、学生向けや一般公開のワークショップを精力的にこなし、他者を介して得られる偶然性を取り入れながら作品を次々と生み出していった。
 その後、近隣住民から空き家を紹介してもらうことがあり、同大学の藤浩志教授が、学生の自主的な活動も含めて利用できるよう物件を契約したことから誕生したスペースが「アラヤイチノ」と呼ばれ、現在は大学施設の一つとして活用されている。この場を大学のAIRプログラムの一環で使用した際には、現代美術家の岩井優に来てもらった。空き家が文化的な施設として人の集う場所になるきっかけを作ってもらうこと。地域のことをリサーチして住民や学生と関りながら滞在制作を行うこと。以上を与件として岩井は、かつて生活用水であった湧水、地域にあった音頭と踊りに着目し、住民への聞き込み調査や学生のボランティア活動ともリンクしつつ映像作品を制作した。また、自身の滞在拠点を食を介して積極的にひらくことで学生や地域住民がふらりと足を運びやすい場になっていくよう種を蒔き、時には後輩のアーティストに作品展示を依頼して、工夫をすればどんな場所でも展覧会を開催するが可能であることを学生に示してくれたのだった。岩井はこの次の年も秋田に滞在し、2年目は土地の記憶にフォーカスしながら、ギャラリーでの制作時間を増やし、協力者との実験を繰り返して制作を行った。中心市街地の空き物件でも展示を行うなど、秋田のなかで可能な限り多くの人の目に触れるきっかけ作りにも注力した。

 秋田で行っていたAIRの取り組みを振り返ると、滞在制作の仕組みや場を立ち上げようとする際に、アーティストの働きや力を頼り切っているように思え、彼らに感謝しつつも、その多大な負担に対して言葉がない。おそらくそれは、地域における滞在制作にフォーカスしながら、AIRに求められる要素を盛ったプログラムを志向していたからだろう。地域のリサーチから表現を立ち上げ、その成果として展覧会を実施すること。空き家を活用し、学生や地域の人々に積極的に関わってもらうといった地域振興の要素を強くもっていたこと。滞在場所をアーティストに入ってもらいながら整えること。運営としては、担当者が基本的には一人で、マイクロレジデンス的な規模であること。
 AIRにおけるアーティストの滞在は、決して発表そのものを目的としたものではなかったはずなのに、依然として成果としての作品発表や展覧会の実施が求められるものも多い
2。もちろん発表もアーティストにとってはチャンスや実績にはなるのだが、そこには自治体主導で担われてきた日本型AIRの持つ性格が深く関係しているように思えてならない。日本では1990年代初頭からAIRが実施されるようになったが、その多くが自治体によって運営されたことから、地域振興や活性化が目的に盛り込まれてきた。地域固有の文化を反映し制作に取り入れるようなプログラムや、招へいアーティストと地域住民との交流プログラムに重点が置かれてきたのだ。さらに2000年代から各地ではじまった地域芸術祭も、同じく自治体の地域活性化、加えて観光政策の一環として行われることが多く、そこでは作品やプロジェクトが土地の特性を活かし、サイトスペシフィックであることが要請されるとともに評価されてきた。AIRの成果として、作品や展覧会といった目に見えるかたちを求めがちであること、そして地域芸術祭に出展するための作品制作を目的としたワーク・イン・プログレス的な滞在制作のあり方とAIRがある部分で渾然一体となり、今日の地域における表現のあり方に影響を与えているのではないだろうか。

 現在勤務している国際芸術センター青森(ACAC)は、青森市の市政100周年記念事業として2001年12月に開館(2009年からは隣接する青森公立大学が運営)し、まもなく20周年を迎える、アーティストの滞在制作のために設計された施設である。滞在制作による展覧会、ワークショップやレクチャーを通して、市民が芸術家と交流を持ち、国際性と地域性を併せもった新たな芸術拠点となるべく構想された。青森は市民活動が盛んな印象があるのだが、ACACも例外ではなく、開館前のイベントに参加した市民が主体となり組織化された、滞在アーティストの活動をボランティアで支援するAIRS(アーティスト・イン・レジデンス・サポーターズ)という組織があり、彼らは経験を活かしてアーティストを独自に招聘し企画も行うなど、滞在アーティストや学芸員にとって心強い存在となっている。
 ACACがAIRの施設としてやはりユニークなのは、馬蹄形の緩やかな曲線をもつ幅約9メートル、全長約65メートル、高さ6メートルの巨大な一空間のギャラリーを持つことと、企画や運営を行うスタッフを学芸員として配置していることだろう。開館当時、青森では青森県立美術館(2006年開館)がまだ計画段階にあったたため、市民が芸術を鑑賞する場や制作活動を発表する機会が同時に求められていたことも一つ影響しているが、開館記念展として「戸谷成雄ーさまよう森」が開催されたように、クンストハレ(企画展覧会の実施に重点を置いたコレクションを持たない館)を意識したことが窺い知れる。それまで行われてきた事業を再考してみると、滞在アーティスト同士の交流や、その後のネットワーキングといったAIRならではの成果は見られるものの、公募によるAIRプログラムでもグループ展への参加が必須であり、展覧会の開催に比重が置かれていたことは明らかだった
3。確かに展覧会は、単なる成果発表の場であるだけでなく、多くの地域住民に作品や考えを開く大切なメディアであり、実際にACACのギャラリーを目にすると、この空間にアプローチしたい!というアーティストも多い。
 大きな展示棟における展覧会という場を担保しつつ、いかにAIRとしての取り組みを強化していくことができるか。2019年半ばから施設の中期計画を作成することを契機として、学芸員3人で議論を重ね、全体のプログラムについて見直しを行った。そこで学芸員の企画によって滞在制作を行うとしても、展覧会の開催を目的とするのか、あくまでもAIRプログラムとしてリサーチや制作のプロセス、展覧会の実施まで等価に扱うのか、各プロジェクトの目的とプログラムの位置づけに対し、より意識を向けるようになった。結果として、最も変化したのは公募の(海外のAIR実施団体からの推薦を受けたアーティストの招へいも同時に行う)レジデンスプログラムで、よりAIRの仕組みが果たす役割を意識し、アーティストだけでなく、多くの芸術文化に関わる方々に応募してもらえるよう、展覧会への参加を必須とせず、ワークショップやトークなど何らかの交流プログラムを行うことを唯一の条件とするプログラムが誕生した。滞在期間も一律とせず、各々のプロジェクトに合わせ最短2週間、最長3ヶ月程度から選択できるようにし、国内外からできるだけ多くの方々に入れ替わり立ち替わり滞在してもらうことができるよう計画した。ことにプログラムの名称に関しては毎年変えるものの
4、滞在者の活動そのものの方向性に影響を与えてしまうようなテーマ設定

は避け、公募時の状況に応じ、その時のAIRプログラムにかける我々の姿勢を反映したものになっている。

 しかし実のところ、大幅にAIRのあり方を変更し、新たな姿勢を示したこのAIRプログラムは計画通りに実施できたことがない。2020年が明けてから本格化した新型コロナウイルス感染症の世界的な流行によって、国境をまたいだ移動が難しくなったからだ。2020年の2月にギリギリ行うことができた台湾からの短期リサーチ以来、ACACでは海外を拠点として活動する表現者を、実際に受け入れることが現在までできていない。それでも昨年は、AIRプログラムの実施期間を当初の予定よりも延期し、再び海外から渡航ができる状態を待とうとしたが状況は改善されなかった。そのため、招へいを予定していたアーティストたちと直接相談しながら、オンラインを駆使したリモートでAIRプログラムに参加してもらうことになった。
 実際に青森やACACの環境を目の当たりにすることなく、担当学芸員とのミーティングだけを手がかりに可能な限りリサーチを行い、自身の拠点から参加した海外アーティストたちだったが、どの表現者も現在の状況において最大限可能なことを見つけ、ポジティブに創作の糸口を得ようとする姿が印象的だった。既存の作品シリーズを輸送し、展覧会として公開するなかで青森の人々の空に対するイメージや隕石に関する記憶についてアンケートをとり、その結果に対するフィードバックをトークで伝えたアメリ・ブビエ(
Amélie BOUVIER)、地域住民と青森の風景、動植物に関する話題を中心に往復書簡のやりとりを重ね、そこから新作パフォーマンスを行ったダンサーであり振付家のアリシア・チツェル(Alicja CZYCZEL)などなど。実滞在と比べ、リサーチとなる素材やアポイントメントを学芸員が提案し手配することが多く、展示を伴う場合もリモートでのチェックとなるため、やはり実滞在とは異なるものにならざるを得ないのだが、キュレーターやコーディネーターとしての腕はより試されるようだった。数回ではあったが、ACACに滞在できていた日本拠点の表現者、公募のゲスト審査員との交流ミーティングをZOOMで実施し、お互いの創作活動を知る機会も最小限確保するよう務めた。
 実際に移動を行い、異なる環境で一定期間暮らせるに越したことはない。ただそれが困難になってしまった時に感じたのは、それでも自身の活動を介して異なる土地のことを断片的にでも知り、AIRをきっかけとして出会うことになった他者と、下手でもコミュニケーションをとり続けることの重要性だった。オンラインでは、同じ時空間を共有するよりもはるかに高い言語能力、コミュニケーション力を求められるし、相手がどのような状況なのかすぐには理解しがたい。よって目的以外のことを行う、話すといったことも難しいのだが、ゆっくりとでもお互いのこと、知っている情報や意見を交換し続けることで、それまでは点でしかなかったことが線くらいにはなっていく瞬間が確かにあった。そして今すぐに役立つわけではないかもしれないが、何かしらのゆるい人的なつながりは、長期化しそうなパンデミック下においても、その後のことを考えても重要で、今こそが会ったことのない相手にも気軽に声をかけられるチャンスなのだ、と思いたい。

 このエッセイを執筆中の2021年8月下旬、青森県は独自の新型コロナウイルス感染症緊急対策として、不特定多数が利用する公立施設の原則休館・使用中止を呼びかけ、ACACも9月いっぱい臨時休館することが決まった。開催中だった展覧会も残念ながら打ち切りとなってしまい、県外からの滞在者の受け入れやイベントも、人を実際の空間に集めてはできなくなってしまった。イベントはオンラインに切り替えて開催しているが、この臨時休館の影響を受けず予定した通りに進んでいるのは、海外アーティストとのリモートによるAIRプログラムだけになってしまった。
 同時代を生きるアーティストたちと展覧会をつくりあげる上で、ジレンマを感じつつも有効な手段であると考えていた滞在制作およびAIRの施設が簡単には機能しなくなってしまった現在。それでも、AIRのプログラムを基盤としたリモートでの活動が続いていたからこそ、新たな表現者との出会いがあり、構想段階からリサーチやプロトタイプ的な制作、オンラインでの発表、そのアーカイブまで、可能な限り創造的なプロセスを共有することができている。作品や活動を実見することで分かることといった、芸術として大切なことが画面越しにしか果たせない葛藤はある。しかしAIRのしくみがあったからこそ、まだ見ぬ人や表現、その考えにつながっていけるというシンプルな希望が、手もとに残っている。





1 日本におけるAIRの概況に関する読みやすい記事としては、萩原康子「わが国のアーティスト・イン・レジデンス事業の概況」AIR_J、2010年 https://air-j.info/article/reports-interviews/now00/ , 菅野幸子「日本のアーティスト・イン・レジデンス 隆盛のなかでの課題」artscape、2017年 https://artscape.jp/focus/10138877_1635.html などが挙げられる。
2 近年では自治体主導でありながらも、成果が必ずしも作品制作や発表に求められない事業も増加している。テレワークを活かした「ワーケーション」の要素とAIRが結びついた事例もある。
3 ACACのAIRの場合、基本的にはアーティストが滞在中にリサーチ、作品制作、展覧会設営、開催中の作品ケア、撤収まで行うことで、展覧会が成果発表でありながら、会期中は次の創作活動につながるリサーチや制作が自由にできることも特徴だった。
4 公募のプログラムの名称は、2020年度は「OPEN CALL: CALL for OPEN」として公募を中心として広く芸術文化活動に従事する方々に施設の環境を使い倒してもらうオープンな姿勢を表し、2021年度は新型コロナウイルス感染症の流行を受け、それでもAIR事業を通したつながりを模索していく姿勢から「invisible connections」とした。