ケア・ワーカーのサボタージュとストライキ

遠藤 水城

筆者は茨城県が主催するアーティスト・イン・レジデンス・プログラムである「アーカス・プロジェクト」に2007年から2010年までディレクターとして勤務していた。福岡に在住するただの博士浪人だった筆者が、イタリアはベルガモで国際キュレーター賞を受賞し、その後、アジア文化基金のサポートでサンフランシスコとニューヨークに滞在した末に、「ふふふ。俺は世界のキュレーションの最前線を知ってるぜ。やってやるぜ。」的な気持ちで日本に帰国した際に最初に得た仕事がアーカスだった。当時31歳である(現在45歳である)。

まずは筆者が勤務していた頃のアーカスの概要を確認しよう。世界的な公募により、うろ覚えだが
400件くらいの応募があったと記憶している。選出された34名のアーティストに対して、月230万円の生活・制作費を支給、閉校した小学校の教室をスタジオとして提供し、アパート(レオパレス21)での滞在も主催者が負担、最終的にオープンスタジオを開催する。ディレクター(筆者)、マネージメントスタッフ、テクニカルスタッフの3名体制。そこにボランティアによるサポートも加わる。アーティストからすれば非常に条件が良いはずで、それがクオリティの担保にもなっていた。

さて、本稿ではアーカスでの約3年の勤務で筆者の心に残っていること、奇妙な思い出、持て余している何かについて、つらつらと書き連ねていこうと思う。アーティスト・イン・レジデンスの効果や意義や定義や重要性などを描出するものではないかもしれない。ただ、それらはその後筆者がキュレーターとして活動していく際の、なんらかの条件付けに関わっているようにも思える。


1料理

アーティストが去った後、アパートの片付けをこちらがすることになる。家具や食器など備え付けのアパートであり、アーティストには掃除を終わらせておくようお願いしておくのだが、全然掃除してくれていない場合もある。信じられないくらい綺麗にしてくれているアーティストもいる。そこは人それぞれなのだが、筆者が発見したのは、必ずと言っていいほど、調味料の瓶がキッチンにまとめて残されているという法則である。それらは「まだ使える」「まだ食べられる」ゆえに捨てるに捨てられていない。砂糖や塩は袋入りで購入し廃棄したのだろうと推測され、必ず残っているのは胡椒、オリーブオイル、七味唐辛子だった。胡椒とオリーブオイルはわかる。ポイントは七味唐辛子で、筆者の推測だが、普通の唐辛子・チリペッパーを買おうとした結果、間違えて七味唐辛子を購入してしまうという現象が起こっていた。確かに日本のスーパーの香辛料コーナーで、赤くて辛そうでメインを張っているのは七味唐辛子なのかもしれず、間違えてしまうのも仕方ないかもしれない。スタッフ二人に「いる〜?」と聞いても「いらないです」と返されるので、筆者はそれらを持ち帰り、その後数ヶ月、七味唐辛子でペペロンチーノを作り続ける。アーティストたちがした失敗を無駄に反復してしまう。オリーブと七味がお互いを殺しあっている。


2.現場

ある日の朝、スタッフが色めきだって「遠藤さん、ちょっと来てください」と言う。ある男性アーティストが使用している教室へ向かうと、窓側の部屋の隅に使用済みのコンドームが落ちている。彼はヘテロセクシュアルであり、当時女性アーティスは一名だけだったので、彼と彼女が情事にいたったのだろうと推定される。制作に専念するはずのスタジオ空間で性交渉が営まれたという事実に軽いショックを受けるが「まあアーティストも人間かー。若いしなー。」と思いつつ、捩れたコンドームを遠巻きに眺めると、それが打ち捨てられた作品のようにも見えてくる。最低の作品。最低すぎて、最も酷い汚辱を加えられた作品の残骸。と想像しながらも、この二人はこの後も付き合うつもりなんかなー、アーカスが縁で結婚とかもあるんかなー、などと呑気に考える。その後、やってきた二人のアーティストと顔を合わせると、こっちが恥ずかしくて、なんか困る。


3.不審者

インドからやってきたアーティストで、やたら散歩が好きな男がいた。普通の街路を歩くのならば問題なかったかもしれないが、彼は雑木林の中や田んぼのあぜ道など、気の向くままにどんどん歩いていく。ある日、役場の人間に呼び出された。「怪しい外国人がいるっていう連絡がこっちにあったんですよ。連絡してくれた人はアーカスのことを知ってたみたいで、警察じゃなくて役場に連絡があったんですよね。これが警察ならえらいことですよ。なにか対応しなければならないと思います。」と言われ、「そうすねー。私有地とかあんまり入らないように言っておきますけど、私有地と公有地の区別つくのかなあ。」とぼんやり返すと「ひとつ思いついたんですけどね。首からカードをぶら下げてもらうのはどうでしょうか。[私はアーカス・プロジェクトで滞在している芸術家です。決して怪しいものではありません。なにかありましたらXXX-XXXXまでお電話ください。]って日本語で書いておくんですよ。彼が人に会ったらそれを見せてもらうようにしたらどうでしょう。」と言うので、普通にブチ切れそうになる。頭に浮かんでいたのは、強制収容所に連行されていくユダヤ人たちの白黒写真で、彼らはみな首からカードをぶら下げている。(落ち着け、落ち着け、遠藤)と心の中で唱えつつ「えーっと、出会った住民の人がとりあえず「ハロー」って言ってくれれば何も問題おきないんですけどねえ。」などと解決にもならないことを言ってしまう。ここで問題なのは、インドからやってきた彼の外見が不審者になってしまうということなのだ。役場の人間からして当然のようにそう考えている。「じゃあとりあえず、一緒に地図を開いて、彼の散歩ルートを全部洗い出して、私有地が含まれていたら、そこは入らないように言っておきます。」と、不甲斐ない対応しか出てこなかった自分に苛立ちながら声を絞り出すと、役場の男は「いやー、それだと散歩のルートが確定して、頻繁に怪しい男が現れる、っていうことになってもっとクレーム来そうじゃないですか。」などと言い出すので、マジでブチ切れてしまう。


4

アーティストたちと連れ立って横浜トリエンナーレを見に行った。確かオープニングの日で、見たり話したり食べたり飲んだりするうちに、夜も更けて、アーティストから「今から守谷に帰るの無理でしょ。疲れたし。」と言われる。そこで僕は「アイハヴァグッダイディア。みんなで日本の漫画喫茶に行こうよ。ある種の日本文化の独自性が体験できると思うよ。おもろいはずよ。」と提案し、皆で関内駅前のネカフェにぞろぞろと入る。いろいろシステムを説明したり、内部の案内をしたりした後、アーティストたちはブースの中に消える。トリエンナーレの会場の広さや作品のスケールに比して、僕はなんでこんなせせこましい場所で夜を過ごしているんだろう。情けないな。アーティストにも情けない思いをさせてしまっているのではなかろうか、と後悔の念を抱き始めたそのとき、アーティストの一人が入った、僕の真後ろのブースから歌声が聞こえはじめる。Here comes the sun, little darling, here comes the sun, I say, it’s alright...(うおぉい。酔っ払ってんな…。止めるべきかな。まあいいか…。)とか思ってたら案の定、店員に注意されている。仕方ないからブースの扉を半分開けて、彼の方をみると、彼は注意している店員をガン無視して僕に向かって「このライトさ、消し方わからないんだけど。眩しくて寝られんのよ。」とか言っている。「すんません。静かにするよう言います。」と謝りつつ、僕は彼の背後にある電球の光をじっとみる。丸い。パーフェクトに丸い。その時なぜか頭に浮かんでいたのは、ターバインホールでのオラファー・エリアソンのWeather Projectで、いまこの瞬間にブースの壁を全部取っ払ったら大体一緒なのでは、と思いつつ、光を直視し過ぎたせいか、いつの間にか目から涙が流れている。


このあたりでやめておこう。

キュレーションの語源にケアの概念があり、キュレーターが配慮するのが展覧会や作品だけではなく、制作過程や作家の生活にまで至ったときに、その職能が為しうることは何なのか。アーカスが与えてくれたのはそういう観点で、それは筆者の近年の活動であるHAPSまで地続きに繋がっている。


*上記エピソードは全てが事実ではありません。誇張、フィクションが含まれています。